ジャーナリストや政治家に対しては、当局や中国の重要人物へのアクセスをコントロールします。中国に好意的な論調の記事を書く記者は、重要な情報を与えられ、優遇される。西側の記者や政治家がアクセスできないような特権を与えるのです。最近では、海外に豊富に存在する中国系のコミュニティーを使って、政治献金やスポンサーになるという露骨な買収作戦も行われています。もちろん、日本でも行われていますが、社会の中で中国系の住民がより高い地位を占めつつある、アングロ・サクソン系の国でこの影響が顕著です。米国、オーストラリア、ニュージーランドなどです。

排斥ではなく“半歩”近づく対抗策

エコノミスト誌は、中国の意図的な影響力行使に警笛を鳴らす一方で、その対処策については切れ味がよくありません。法の支配やメディアにおける自由主義が重要であると、若干理想論に偏っています。ただ、それもある程度は致し方ないこと。中国の脅威を認識することは重要にしても、結果として中国排斥論に直結しては西側の倫理的な優位性を維持できないからです。

今後、日本国内でも中国脅威論の高まりが予想されます。冷戦期から、日本がスパイ天国であるのは周知の事実なので、脇を固めることはとても重要ですし、サイバー攻撃やテロへの対策など、安全保障の基本動作を鍛える必要があります。日本では、総選挙が行われたばかりですが、日本の選挙への外国勢力の影響力という視点が語られることはほとんどありませんでした。

2016年の米大統領選挙では、あからさまにロシアからの介入があったことは周知のことです。2017年の独仏の選挙でも外国勢力の浸透が指摘される中、日本で、このことが話題にすら上らないのはどういうことか。日本人自身が、中国の影響力の広がりを直視し、スパイ狩りのような展開となることを恐れているのでしょう。そもそも日本の公安当局は、あからさまに取り締まるスタイルではなく、泳がせておくスタイルを採用してきましたから。

中国をはじめとする権威主義国の台頭の一番の副作用は、中国に対抗する社会は中国に似てくるということと言えます。中国的なビジネス手法に対抗するためには、同じ手段を持ってするより方法がないのです。途上国では賄賂も渡さないといけない。相手国の人権侵害も無視しないといけない。さらには、自国への中国の浸透に対抗するためには、自国民の行動を監視しないといけない……。こうして、我々は本末転倒の結果を招いてしまうのです。

ただ、法の支配とメディアの自由を守るというお題目だけでは、さすがにナイーブでしょう。目には見えづらい浸透力に対抗する第一歩は、やはり透明性の確保であるべきです。“嫌な社会”には、半歩近づきはするけれども、研究費の出所、スポンサーの内実、政治資金の流れの透明性を確保すること。その必要性が高まっていることは、間違いないように思います。

(写真=iStock.com)
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