誤認で被害を受けた「石橋建設工業」

doxingは日本でも起きている。2017年6月、東名高速道路で大型トラックがワゴンに突っ込んで夫婦が死亡した事件では、自動車運転処罰法違反などの罪で25歳の男が逮捕された。この男の名前が「石橋」で、福岡県の建設作業員と報道されたことから、事件とは関係のない北九州市の「石橋建設工業」が男の勤務先ではないか、との推測がネットを駆け巡った。その結果、石橋建設工業の住所や電話番号、社長の個人情報などが晒され、苦情電話や脅迫電話などが相次いだ。関係者へのインタビューをみると、その被害の深刻さがわかる

重大な事件の場合、報道機関は警察から密かに情報を得て、逮捕前の容疑者や関係者に接触することがある。テレビ局では「独占スクープ」などと称して、個人が特定できないように顔にモザイクをかけて映像を流す。だが、モザイクをかけていても、個人が特定されてしまうことはある。もしくは石橋建設工業のように、無関係な人や企業を誤認することもあるだろう。そこから「私刑」がはじまってしまえば、取り返しがつかないことになる。

目の前の怒りとどう向き合うべきか

報道において実名と匿名のバランスをどうとるか。難しい課題だが、座間事件におけるメディアの対応には熟慮があったとは思えない。もちろん熟慮が必要なのはメディアだけではない。一般市民であってもSNSを通じて、容易に情報発信ができる時代だ。われわれも熟慮の時間を持たなければならない。

痛ましい犯罪を目の前にしたとき、人は「怒り」の感情をむき出しにすることで己の正義を貫徹しようとする。報道メディアにせよ一般市民にせよ、複雑な事実関係を無視して、「××が悪い」の一言で断罪すれば、カタルシスは得られても社会的には有害な結果をもたらす。実名報道の是非やdoxingへの対応について、前提となるのは、われわれ自身が「怒り」の感情とどう向き合えばいいのか、という問題なのだ。

なぜ私たちは多くのことに怒っているのだろうか。次回はこの「怒り」という問題を掘り下げて考えてみたい。(続く)

塚越 健司(つかごし・けんじ)
情報社会学者
1984年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。拓殖大学非常勤講師。専門は情報社会学、社会哲学。インターネット上の権力構造やハッカーなどを研究。著書に『ハクティビズムとは何か』(ソフトバンク新書)などがある。
(写真=時事通信フォト)
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