貴乃花親方の正義は「復讐願望などの不純物も含まれる」

これは誰にでも思い当たるふしがあるのではないか。こちらに正義があると確信しているときほど、「加害者を罰したい」という欲求も、復讐願望も強くなる。

もちろん、そういうときは胸中に強い怒りも煮えたぎっているはずだ。前出のセネカは「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である」と述べているが、たしかに、怒りと正義感はしばしば密接に結びついている。表裏一体と言っても過言ではない。

今回の事件の被害者は貴ノ岩である。だから、貴乃花親方が怒るのも、正義はこちらにあると思うのも当然だ。ただ、ミルが指摘した正義の心情の要素の1つである「加害者を罰したい」という欲求、さらには復讐願望が強くなりすぎると、少々困ったことになる。

▼正義に酔いしれて合理的な判断ができなくなる

現に、貴乃花親方も、被害届の提出を協会に報告しなかったことや、協会から貴ノ岩への聴取協力を要請されても拒否したことについて批判を浴びている。来年2月の理事改選で貴乃花親方を落とす算段をしている親方衆がいるとも報じられている。そうなれば、貴乃花親方が目指す相撲協会の改革どころではないだろう。

自分自身、あるいは愛する者が理不尽な目に遭ったとき、相手の「不正」に対して怒り、何らかの形で復讐したくなることは誰にでもある。ただ、怒りも復讐願望も、自分自身の心の中にあることを認めたくない恥ずべき感情なので、しばしば正義というベールで覆ってしまう。

そうなると、正義に酔いしれて合理的な判断ができなくなるかもしれない。だから、正義は処罰欲求の仮面であり、怒りや復讐願望などの不純物も含まれていることを忘れてはならない。

(写真=アフロ)
関連記事
なぜ記者は貴乃花親方を問い質さないのか
低レベルな新聞ほど「力士の品格」を問う
モンゴル人力士が増えた意外な理由
酒で暴れる人の口癖「死ぬまで飲まない」
もし"沈黙の横綱"稀勢の里が先輩だったら