それが誰かはさておき、家事は家の者が「きちんと」やることが、デファクトなのだ。手抜きというのは、あくまでもデファクトをクリアした上で与えられるご的なものであって、手を抜いたり外注化することが常態となるのは認められないという雰囲気は、共働き世帯数が片働き世帯数を抜いて久しい今も、相変わらず根強い。
核家族と家事の外部化が子どもをダメにする?
この、「家事はきちんとしなければならない」という刷り込みはどこからきたのだろう?
一つ考えられるのは、政府の情報発信だ。先にも述べた「朝ごはん運動」を例に考えると、文部科学省と農林水産省が「朝ご飯が大事、大事」と連呼する。これに連動して、地方自治体が様々なキャンペーンを行なう。それに合わせて、主婦雑誌は朝ご飯特集を組むし、食品メーカーもここぞとばかり、朝ご飯向きの商品を売り出す……といった具合で、政府の方針と価値観は、様々な形で人々の日常生活に入り込む。
と同時に、なんとなく、「朝ご飯は食べた方がよい」→「家族で和食の朝ご飯がよい」→「和食の朝ご飯を食べている家庭が『きちんとした』家」という価値観が徐々に形成されていく。
家庭機能の低下の要因?
そういう意味で最たるものは、「核家族と家事の外部化が子どもをダメにする」という刷り込みではないだろうか。平成5年の国民生活白書には、「従来家族が果たしていたさまざまな機能のうち、家事、育児等の機能の一部が家庭外で処理されるようになり、家族の機能は縮小していった」と明記されている。家事労働が家庭外で処理されることで、生活時間にゆとりが生まれ、家族が一緒に過ごす時間が増えるとすれば、むしろ歓迎すべきことではないかと思うが、家事や食の家庭外処理を、政府は昭和30年代から「家庭機能の低下の要因」として槍玉にあげ続けている。
昭和32年の国民生活白書には、「加工食品に対する需要はとくに都会の若い世代の人たちに強く、この人たちにとっては味噌汁や手づくりの料理などにはあまり未練もなく、ある程度うまくて、簡単で栄養があればそれでいいのである」と、批判がましい。
続く昭和34年の厚生白書には「かつては休む暇もないほど働き続けることをもって美徳と考えた我が国の主婦も、最近ではその無益なことを認識し始めるとともに、合理化へと大きな目を広げるに至っている」とある。