核家族になると、家事の手抜きを指摘し文句を言ううるさいおじいちゃんやおばあちゃんがいなくなり、「ちゃんとした家事」は簡単な方へ流れていく。それはよろしくないのだというお上のご意向は「きれいな服装をし、便利な家具品をそろえ、レクリエーションを楽しむこともわれわれの生活の一部として結構なことではあるが、しかし肝心の栄養の問題をおろそかにしたならば、その生活は決して健全な姿とはいえないであろう」という昭和32年の国民生活白書の手厳しいお言葉からも十分に伝わってくる。

ちなみに、核家族による家庭機能の低下の一端として、平成5年の国民生活白書が取り上げているのが、「核家族化と長時間労働によって相対的に低下した『かつては家族の中心であった父親の地位』」である。高度経済成長期のモーレツ社員たちは、父としての地位がそんなに低かったのだろうか? 父親の地位が低下した核家族はダメだという言葉の裏に、戦前の家父長制を一つの理想形としている旧態依然とした日本的家族観を感じてしまうのは、私だけだろうか。

「家事はきちんと」なんて無視していい

そもそも、家父長制の下ですべてを手づくりして、家事がこなせていたのは、嫁が奴隷のように働かされていたからだろう。核家族化が進行し、舅姑(きゅうこ)にヤイヤイ言われずに、食や家事を簡便化し、その分家族と過ごせれば、家庭機能は低下なんかしないだろう。

ところが、戦後の家父長制崩壊にあらがうように、政府は戦前の「伝統的な家事」のあり方を核家族に求めた。家事は「きちんと」ちゃんとやらないと、家庭機能が低下する、子どもがちゃんと育たない。そのメッセージの裏に「女性の家庭内の無償労働をいくらでも使える資源と位置付けてきた戦前の経済体制を維持」(※2)しながら、武力ではなく経済で世界にのし上がろうという政府の意図があったのだろう。

そう考えると、昭和30年代から繰り返し発信される「家事はきちんと」なんていうものは、無視してしまってよいのだ、と思えてくる。そんなことは、個々の家庭で、こなしていける範囲で、核家族内で分業すればよいだけのことなのだから。

※1:Nash-Bargained Household Decisions:Toward a Generalization of the Theory of Demand.Marjorie B.McElroy and Mary Jean Horney,International Economic Review,Vol.22,No.2(Jun.,1981)
※2:『家事労働ハラスメント--生きづらさの根にあるもの』竹信三恵子、岩波新書、2013年

佐光紀子(さこう・のりこ)
翻訳家、ナチュラルライフ研究家
1961年東京都生まれ。1984年国際基督教大学卒業。繊維メーカーや証券会社で翻訳や調査に携わったあと、フリーの翻訳者に。とある本の翻訳をきっかけに、重曹や酢などの自然素材を使った家事に目覚め、研究を始める。2002年、『キッチンの材料でおそうじするナチュラル・クリーニング』(ブロンズ新社)を出版。以降、掃除講座や著作活動を展開中。2016年上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士前期課程修了(修士号取得)。
【関連記事】
女性を苦しめる「丁寧な暮らし」の呪縛
なぜ、日本の男は世界一家事をやらないか
娘を家出させた家事放棄妻の"馬乗りの夜"
妻に「ワンオペ育児」をさせる夫の傾向5
"妻の年収"が低いほど、夫は育児をサボる