来日した宣教師らは、多妻婚は1890年にすでに放棄した事実を新聞で紹介するなど、イメージの払拭から始めていった。当時のインタビュー記事には、
とある。明治政府はモルモン教を警戒したが、内務省による内偵の結果、特に問題が見つからなかったとされ、国内で布教が黙認されることとなった。宣教師らは、重要な聖典であるモルモン書(当時はモルモン経)の翻訳を夏目漱石に頼むなど、活発に活動したが、夏目による翻訳はかなわなかった。最終的に、漱石に紹介された生田長江による翻訳によって1909(明治42)年にモルモン書は刊行された。
現在の日本人信者は約13万人
モルモン教の宣教師たちは聖典の翻訳や街頭勧誘など精力的に活動したが、日本人信者は増えなかった。布教活動に陰りが見え始めたさなか、1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生。宣教師らに被害は無かったが、都内の伝道本部が損壊し、組織の維持が難しくなる。また、1924(大正13)年にアメリカ本国で排日移民法が成立したことで日本人の対米感情が悪化し、主にアメリカ人で構成されていた宣教師たちは窮地に立たされた。同年、アメリカ本部は日本からの撤退を決定し、ハワイにいる日系移民への布教にシフトする。
モルモン教徒が日本国内に増えたのは、戦後のことだ。布教活動を再開し、60年代以降は急速に信者を獲得していった。1970年の大阪万博に建てられたモルモンパビリオンには、天皇陛下(当時は皇太子)が訪問している。現在、日本人信者は13万人ほどである。