コペル君と叔父さんはバディだ

マンガの顔、すなわち主人公の容貌についても試行錯誤があった。原作の舞台である戦前では男子中学生は丸刈りと決まっていたが、あえて髪は伸ばした。最初は丸刈りにしたものの、コマの中で躍動感が出なかったのだ。

この物語では、母親の弟である叔父さんが重要な働きをする。コペル君を時には励まし、時には知恵を授け、時には厳しく戒めるメンター(理解者、助言者)のような存在だ。この叔父さんに関する話にも改編を加えた。

「上から目線でコペル君を指導するというより、斜め上からコペル君を温かく見守りながら、叔父さん自身も成長していく『バディ(相棒)』感を明確にしたいと思いました」

その象徴的なシーンが2人が町中を歩くシーンだ。例の浦川の家を訪ねた後、家業を手伝いながら、困難に負けず頑張っている同級生の姿に感動し、コペル君がいても立ってもいられなくなったのだ。原作ではコペル君が1人で歩いていくのだが、マンガでは2人で手を振りながらぐんぐん歩いていく。叔父さんが「君は浦川君の貧しさを知ったが、ばかにはしなかった。浦川君にしてあげられることを君なりにやった。そのことに刺激され、一緒に歩きたくなったんだ」と言いながら。

こうした作業を繰り返していくうち、スケジュールはどんどん押し、1年間という当初の締め切りはとっくに過ぎてしまう。

80年の時を経てバトンは確実に渡された

2016年9月、思いがけない知らせが入る。羽賀を鉄尾に推挙した原田が脳出血のため、突然、亡くなってしまったのだ。講談社第一事業局次長、享年58。羽賀は「皆からダーハラと呼ばれ慕われていたことだけは知っていますが、結局、一度もお目にかかれませんでした。僕のマンガのどこを評価し可能性を感じたのか、直接、うかがいたかった」と残念そうに話す。

原作を読み返しながらマンガ化を進めていくうち、羽賀は重要なことに気づく。それは「世の中のために本当に役立つ人になってほしい」というコペル君に対する父の願いが物語の通奏低音になっていることだ。そこで羽賀は、原作には存在しない、病床の父が叔父さんと面会し、「息子を頼む」と告げる場面を設けることにした。父はもう息子にバトンを渡せない。その中継役を叔父さんに頼んだのだ。

完成に向け、羽賀のペンは速度を増した。描き終えた頃、たまたま足を伸ばすと、叔父さんの家のモデルだった民家は取り壊され、跡形もなかった。まるで自分の最後の「任務」をわかっていたように。

当初の予定から1年ほど後ろ倒しで発売されると、メディアがこぞって取り上げ、部数が山積みされていく。原作を活字で読んだ人たちが懐かしさから買い求め、さらに子や孫に買っていくケースが多いという。親子三代にわたって読めるマンガはそうそうないはずだ。

本とはそもそも作者が世の中に向かって差し出すバトンに他ならない。1899年生まれの吉野が作ったバトンを1986年生まれの羽賀が受け継ぎ、世に再び問うた。「君たちはどう偉くなるか」でも「君たちはどう稼ぐか」でもなく、「君たちはどう生きるか」。そのバトンは誰にとってもずっしりと重い。

(文中敬称略)

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