チーターの躍動感と「和」はどうつながるのか
【池田】そういう日本的デザインは、「SHINARI(靭)」でどう変わったのでしょうか? SHINARIのデザインについてはチーターの躍動感がモチーフとなっているとマツダは説明してきました。それと「和」デザインはどうつながっていくのでしょうか。
【前田】実は「魂動デザイン」というテーマを作ろうとした時に、何をやれば良いか相当悩みました。その基になったのは「クルマっていうのは生き物だ」ということです。われわれはクルマを「人馬一体」とか「愛車」とか、そういう生命のあるものとして捉えているんですね。だからクルマっていうのはある生命を持ったものだろうと。マツダっていう会社は昔からそういうものを作ってきたのだろうなぁというところにようやく行き着いて、その結果「形に魂を込める」とか「命を与える」という意味で「魂動」ということに行き着いたんです。
【池田】なるほど、ひとつ前のコンセプト「NAGARE」は風や水の流れという自然の現象を「和」と捉えていたわけですが、そういう観察される対象・現象ではなく、観察する命の側に視点を変えた。だから「魂動」なんですね。
【前田】クルマは道具ですが、道具に魂が宿るという考え方は日本古来のものだと思います。研ぎ澄ましていくと、そこに命が宿る。じゃあ生きているものの形ってどんなものだ?と。色んな生き物を観察して原理を見つけようと思ったのです。そこでたまたまチーターを見つけて、説明の時にチーターを例に出したので、すっかりチーターに特定されてしまって。
【池田】つまり“道具に命が宿る”ということがテーマなのであって、具体的な動物がチーターであるか他の動物であるかは、前田さんの言葉で言えば“表層”なわけですね。だから「和」なのになぜチーターなのかということは全然本質ではないと。
【前田】いやぁ、海外では「魂動デザイン=チーター」になってしまって……。チーターがクルマに変わっていくコマーシャルまで作られてしまい、「そうじゃないのになぁ」と思っています(苦笑)。僕らは今回「生きている」ということを本気で理解しようとしたんです。例のチーターも相当研究しました。走る姿が美しいじゃないですか。美しさは当然表面的に出ている筋肉の躍動にもありますが、最後に行き着いたのは実は背骨の存在だったんですね。これか! と思いました。実はチーターが激しい躍動感で走っている時、どんなタイミングで見ても頭としっぽだけはあるスプラインでつながっているんです。そこは動かない。何なんだあれはと考えた時に「あ、背骨か!」となったんです。なので最近はわれわれのクルマの骨格とかプロポーションを作る時にはそれを重視しています。「おまえ、これ、背骨が通ってないぞ」とか。
【池田】背骨が通ってない、それは全否定ですね(笑)。
【前田】背骨が通っているかどうか。これは今のデザインの一番重要なところだと思っています。