民主主義社会をむしばむ病原体だ
毎日社説はこうした分析の後、次のように断言する。
「これらの風潮が広がると、まっとうな報道は成り立たず、事実でない『ニュース』が関心を持たれる悪循環に陥ってしまう」
「フェイクニュースは民主主義社会をむしばむ病原体だ。決して野放しにしてはならない」
なるほど。その通りではあるが、フェイクニュースを野放しにしないためには、新聞が事実を正確に報道する必要がある。
毎日社説は「報道機関には社会の土台となる正確な情報を提供する責務がある。正しい情報が共有されて初めて、民主主義的な議論が成立する」と情報の正しさとその情報を共有することの重要性を説く。
さらに「総務省情報通信政策研究所の最新の調査によると、メディアの中で最も信頼度が高かったのは依然、新聞(70.1%)だ。インターネット(33.8%)とは開きがある」と解説する。
そのうえで「読者から信頼されるために、私たちはプロフェッショナルであることを自覚し、丹念に真偽を判別し、正しい情報を伝え続けたい。事実の重みは今、いっそう増している」と宣言する。
新聞記者はレッグワークを怠るな
「プロとしての自覚」「真偽の判別」「事実の重み」。どれも沙鴎一歩の新人時代に先輩記者から教え込まれたことである。大切なのは「初心を忘れず」ということだろう。現場の記者から、本社に上がり、デスクや編集委員、部長、局長……と"階段"を上がっていく過程で、年もとるし、妥協も知る。その結果、判断自体が甘くなることがある。
とにかく新聞記者は足で稼ぐ「レッグワーク」を忘れないことだ。とくに論説委員は取材現場から離れた記者が大半。主な仕事は、その日の新聞紙面を読んで社説を書くことだ。
どこの新聞社も新聞記事をもとに10人前後の論説委員がいくつかのテーマで1~2時間ほど議論し、どの論説委員が翌日付の社説を書くかを決める。午前中はこの議論で終わってしまうから、社説を書く時間は午後の数時間しかない。
記者としての力量が足りない論説委員は「取材する時間などない」と生意気なことをいうのだが、その言い分はプロとしての自覚に欠けている。
論説委員はこれまでの記者経験から政治、経済、国際、社会問題などに担当が分かれている。日頃から自分の担当でいま何が問題になっており、社説を書くとすればどう書くべきか。自分の知識として何が不足しているか。どの辺をあらかじめ取材しておくべきか。それらを常に把握していれば、新聞紙面だけに頼った社説は書かなくて済む。
どれも自戒でもあるが、若い記者もベテラン記者も「レッグワーク」を怠ってはいけない。