メディアからの注目に加えて、辻内はプロの練習の厳しさに面食らっていた。
「プロでもこれほど練習するんだというぐらい。キャンプは厳しかったですし、その後もそうでした」
そんな中、肩の痛みが出ていた。
「野球やっている人はみんなそうだと思うんですけれど、古傷はいっぱいあります。中学生のとき、肘の痛みで半年投げられなかった。でも、手術はしていない。自然治癒です。肩も高校のときに無理して投げて、痛いと感じることもありました。でも1カ月休むと治った。ちょくちょく痛めるけど、軽度で終わっていた」
しかし、プロではそうはいかなかった。
「プロに入ったら毎日投げる。痛くて投げないと怪我人にされてしまう。お金を貰っている以上、野球をしなきゃいけない」
2006年シーズン、辻内は二軍戦であるイースタンリーグで13試合に登板、34敗、防御率6.04という成績だった。二軍の選手を対象としたフレッシュオールスターに選出されたが、肩の痛みを理由に辞退している。
「靭帯がない」叫びたいほどの肘の痛み
そしてプロ2年目、2007年2月、キャンプ開始から5日後のことだ――。
前シーズンのジャイアンツは4月こそ好調だったが、その後は失速。球団史上初となる2年連続Bクラスという成績だった。監督の原辰徳はチームの雰囲気を変えなければならないと、キャンプを精力的に動きまわっていた。
原はブルペンに顔を出すと、「そんな球でいいのかよー」と観客に聞こえるように大声で檄を飛ばした。これはキャンプに足を運んでくれているファンへの彼なりの心遣いだった。
その日、観客から多くの拍手が出たと原が判断すればその投手の投球練習が終了することになっていた。
以下は辻内の回想である。
「10球ぐらい、肘が痛いまま投げていました。『ああーっ』て叫びたいぐらいの痛み。それでも投げなあかんと思って投げたら、ボールが変なところに行ったんです。投げた後、声が出せないぐらい肘が痛かった」
その様子を見た原は「お前、もういいよ」と辻内に引き揚げるように命じた。ブルペンから出て、軽くランニングをしている最中、肘をさすってみた。肘のあたりが麻痺しているようで、動かすと痛い。チームドクターに相談すると、患部を冷やし、明朝に様子を見ることになった。
すると――。
翌朝、肘の痛みはさらにひどく、全く動かすこともできなかった。そこで、キャンプを切り上げて、東京に戻ることになった。いくつか病院を回ったが、痛みの原因は不明。ようやく館林にある病院で症状が判明した。
「靱帯がない、と言われたんです。靱帯が切れていると。もう尋常じゃないぐらい痛かったので、軽症ではないなと思っていました」