この年の4月26日に辻内は靱帯再建手術を受けた。いわゆるトミージョン手術である。

「手術を受けた後って、自分の腕じゃないみたいな感覚なんです。ボールを投げていいよって渡されて、ふわっと投げてみた。そうしたら、投げ終わった後、肘の辺りがビーンっと振動しているような嫌な感覚があるんです。その後、リハビリしても、その痛みはとれない」

それからは痛みとの闘いだった。

「手術の後、リハビリをして投げたら、151キロ出たんです。スピードが落ちなかった、良かった、と思っていたら、次の日、痛みで投げられない。もう激痛です。それが3週間ぐらい続く。リハビリをして良くなったら投げるとまた痛くなる。その繰り返しでした。この痛みって取れないんだと思いました」

解雇をまぬがれるために投げた最後の日々

ある時期から、自分はプロにしがみつくためだけに投げていたと辻内は明かした。

「プロ入り5年目ぐらいに結果が出ていないとクビになるわけです。だから(シーズン終了後、秋に二軍選手を主体とした)フェニックスリーグとかで速いボールを投げないといけない。そのときはクビになるという恐怖もあって腕が振れる。シーズン中投げられなかった150キロが出たりするんです。痛みはありますよ。フェニックスリーグへ行く前に、肩と肘に痛み止めを打ってもらってました。それで2、3週間は持つので投げられる」

痛みを抑えるためには、考えられるすべての手を打った。中継ぎの投手などが肩を温めるために使うクリームも使った。

「それを塗ると熱くなって汗をかくせいもあって、痛みを感じないんですよ。熱いだけ。夏場は熱くなりすぎて塗れないけど、寒いときには使えるんです」

来季への希望を見せて、毎年、なんとか解雇を免れるという状態だった。

「冬に無理するから、キャンプ前の自主トレからずっと痛い。どうしょう、と思っているうちにキャンプが始まる。初日から投げないといけない。痛い。無理する。はい、終わり、です」

無理するところが違ったんですよと、辻内は自嘲気味に笑った。

戦力外通告を受けたのはプロ入りから8年目、2013年10月のことだった。

期待のドライチは、一度もその速球をプロで披露することなく引退した。

田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日、京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。
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