しかし、独自の核武装は日米関係やその他の外交関係が崩壊する可能性があるので、不可能だろう。一方で、ニュークリア・シェアリング(核兵器の共有)という方法もある。アメリカの核兵器を日本に持ち込ませ、ある程度運営の権限を日本に持たせてもらうのである。
「核を落とされるか。それとも核を持つか」
ニュークリア・シェアリングをアメリカが承認するかはわからないが、議論するなら今のうちにやらないといけない。なぜならば、アメリカと北朝鮮の間で核兵器のパリティ(戦力均衡)ができてしまったら、核のバランスを保とうとして、アメリカは抑止力をこれ以上強めも弱めもしようとしなくなる可能性がある。結果、日本との間でニュークリア・シェアリングが不可能になるだろう。
来年初め、北朝鮮はアメリカ本土に核ミサイルを撃ち込めるようになるとアメリカは予測しているが、もしかするとそれがパリティ成立の期限になるかもしれない。
核保有は今まで先延ばしになってきた問題だ。しかし、決断は早いほうがいい。後になるほど選択肢が減り、「核を落とされるか。それとも核を持つか」のような極端な話になってしまう。
冷戦時代、日本はアメリカの核の傘に入ることで国を守ってきた。その経験から学べば、現実的な選択をすることもできるのではないか。日本国民の命を守りたいのであれば、今、発想の転換が求められている。
聖学院大学教授
1970年生まれ。92年同志社大学法学部卒業。ソウル大学政治学科修士課程修了。神戸大学大学院法学研究科博士後期課程修了。2015年から現職。専攻は朝鮮半島研究、比較政治学、国際政治学など。著書に『北朝鮮ではなぜ軍事クーデターが起きないのか?』(潮書房光人社)ほか。