最初の病院で検査をしたのが12月25日。そこから大きな病院を紹介されて、さらに検査をしたのが27日。この時に、はっきりと診断結果が出ないものの、「何か良くない。おそらくがんだろう」ということは察知しました。
その晩、僕は一人、お風呂に入って大声を出して大泣きしました。どれくらい泣いたかなぁ……。ひとしきり泣いたらのどが渇いたので、ビールを一口飲んでから、眠りにつきました。よく眠れたみたいで、翌朝は不思議と気持ちがスッキリしていました。そして、「さあ、目標、どうしよう。楽しい目標にしないとね」と未来のことを考え始めていた。
がんを治して「徹子の部屋」に出演する
「がんを治して『徹子の部屋』で、その経験を話そう」――。そう目標を立てました。そして、その夜もお風呂でワンワン泣いてからぐっすり寝ました。
こうして、夜は大泣きして朝になると「今日も楽しい目標を考えよう」というルーティンができあがったのです。だから、(2005年)1月14日に告知を受けた時もショックから立ち直る時間が短くて済んだのでしょう。
とはいえ、告知後も僕は夜の大泣きを続けていました。やっぱり、体も弱っていますし、夕方あたりから体もつらくなってくると、気持ちもへこんでしまいます。
ある時、そのルーティンが大崩れしたことがありました。
2月1日の朝、何気なくカレンダーをめくったら、不意に「2月14日入院、2月16日手術」の文字が目に飛び込んできたのです。その瞬間、不安に襲われ、その場で泣き崩れてしまいました。
「俺、やっぱり死ぬかもしれへん。だって、がん20センチなんやで……」
そう思うと涙が止まらなかった。カレンダーの下から一歩も動かず、丸一日泣き続けました。
2日の朝、自分が同じ所に一日中いたことに気づき、2メートルくらい先にあるソファまではって、今度はソファの上でそのまま泣き続けた。われに返ったのは3日のお昼ごろ。やっと「まぁ、なんとかなるか」と思えるようになった。