発言しない理由はいくらでもある

読者のなかには「ブレストぐらい、うちの会社でもやってるよ」と思う人もいるかもしれないが、ピクサーの会議は単にアイデアを出すだけのブレストではなく、進行中の映画に対して「ここは不要だ」とか「この人物の感情が伝わってこない」といった、率直な批判や批評も求められる。ジブリで宮崎駿監督を前にして、ダメ出しの意見をするようなものだろう。

いかにピクサーといえども、豪胆な人間ばかりではあるまい。先に挙げた『ピクサー流創造するちから』のなかでも、ブレイントラストの会議に初めて参加する人間の心理が細かく描き出されている。

<初めて参加するブレイントラスト会議。熟練の優秀なメンバーが部屋を埋め尽くしている。先ほど上映された映像について議論するためだ。この状況で、発言に慎重になる理由はいくらでもあるだろう。礼を失したくない、相手の意見を尊重し、できれば従いたい、恥をかきたくない、知ったような口をききたくない>

これらは、前回(「議論を重ねても“よい結果”が出ない理由」http://president.jp/articles/-/22565)説明した熟議が成功しない理由とほぼ同じだ。話し合いに参加する人間が、めいめい空気を読み始めると、議論は誤った方向へ向かってしまう。

では、ピクサーはいかにして、熟議の難所を乗り越えてきたのだろうか。『ピクサー流創造するちから』を読むと、それはひとえに優れたリーダーやマネジャーにかかっていることを痛感する。

テーブルひとつで会議は分断される

印象的なエピソードを紹介しよう。

ある時期まで、ピクサーの大会議室には長細い会議机があり、それを囲んで、定期的にミーティングを行っていた。エドは、その机がいつしか嫌いになったという。なぜか。

<30人が2列になって向き合い、それ以外の人が壁に沿って座ることも多かった。横に広がりすぎて話がしにくい。両端のほうの席に座った不運な出席者は、首を突き出さないと顔も見えず、話についていくこともままならなかった。それだけでなく、話し合っている映画の監督とプロデューサーが皆の意見を聞き漏らさないようにするには、どうしても2人を真ん中の席に座らせなければならない>

そのうち、社内で最も経験豊富な監督、プロデューサーたちが固まって座れるように、座席札までつくられるようになった。これでは立場に制限されない自由な議論など、できるはずもない。それに気づいたエドは、会社の施設管理部門にテーブルの入れ替えを頼んだ。

興味深いのは、その長細いテーブルが十年間も使われ続けた理由を考察するくだりだ。

<それは、席順や座席札が私を含むリーダーたちに都合のいいようにつくられていたからだ。すっかり全員ミーティングをやっているつもりになっており、自分たちが疎外感を感じていなかったため、何もおかしいと感じなかった。一方、中央に座れなかった人はそれで序列が決まることをかなりはっきりと感じていたが、それは我々、つまり上層部の意図でそうなったのだと解釈した。だから文句を言えるはずもなかった>

空間の設計ひとつでコミュニケーションは良くも悪くもなる。エドが、長テーブルの弊害に気づくことができたのは、常日頃から、創造的な議論を阻害する要因に敏感であり続けたからだろう。