なんで演歌マネジャーを辞めてアメリカに?

【田原】どうやって交渉したのですか。

【三井】日本の総領事館が主催したパーティでホリプロさんと出会いました。ホリプロさんはアメリカではライセンスビジネスを展開しています。そこで海外スターの浮世絵をつくりたいと話したら、ライツを持っているアーティストを挙げてくれ、そのなかにキッスの名前があって、彼らしかいないと。

【田原】次はどうしたんですか。

【三井】ホリプロさんの紹介でマーチャンダイジングの権利を持つ会社に連絡したところ、「明日社長と副社長がいるから来てくれ」と。本当は家庭教師ときちんとプレゼンの練習をしてから行きたかったのですが、このチャンスを逃したらたぶん次はない。通訳の手配も間に合わず、結局、自分のつたない英語でプレゼンしました。幸い、浮世絵の世界観への反応も良く、キッスのメンバーも快諾してくれ、「半年後に日本に行くから、そのときまでにつくってほしい」とトントン拍子で話が進みました。

【田原】つくる職人さんは、すぐ見つかったのですか。

【三井】そこで躓きました。当時、日本に彫師は9人、摺師は30人。絵師に至ってはゼロだったので、どうしたらいいものかと。

【田原】絵師はいなかったんだ。

【三井】はい。浮世絵風の絵を描くイラストレーターさんはいらっしゃるんです。でも、描いてもらうと浮世絵の様式美が再現されていない。こちらの要望を伝えると、「これ以上本格的なものは描けない」と言われてしまいました。

【田原】それでどうしたの?

【三井】摺師の職人さんから「6代目の歌川国政がいて、ロックを聞きながら絵を描いている」と聞きました。ただ、誰も連絡先を知らないし、ネットで検索しても情報がない。ようやく見つけたのが、「6代目歌川国政という名跡を使わないで、本名の石川真澄で個展をやった」という記事。藁にもすがる思いでギャラリーに連絡して、ようやくつながり、絵を描いてもらえることになりました。