「それに、コソアド言葉が多くなるので、裁判官が聞いても何のことだかよくわからない。一方、紙に文章を書く場合は、書く前にかなり考えますから、むしろ証明力が高い場合が多いのです。ですから、隠しどりをするときは5W1Hを押さえつつ、極力相手にしゃべらせることが重要なのですが、不自然な話し方をしているとすぐ相手にバレちゃいますね」
そう言われてみれば、冒頭の一言の「それ」が何を指すのか、「その通り」の内容は何かを、第三者が正確に把握するのは難しいことだろう。どうやら、テープの“生々しさ”は、証明力にストレートには反映しないらしい。
では、紛争相手の肉声をテープに収めることが無意味かというと、そうではない。右翼の街宣車が来た場合、あるいは例の騒音オバサンによる迷惑行為のような場合は、その音声をテープに収めておく意味は大きい。臨場感によって裁判官の感情に訴えることができるため、テープの“生々しさ”が生きる。
また、医師による治療方法の説明や高度な技術的問題の説明のように、その場では理解し切れないことが多い会話を録音しておくと、後でトラブルになったときに役立つ場合が多い。
さらに、法廷で相手が嘘を言った場合、その嘘を覆す場面でテープを利用することで、単独では証明価値の弱いテープを強い証拠へと転化させることも可能だ。
例えば、セクハラ事件の被害者が、裁判を起こす前に加害者と意図的に接触して、誹謗中傷の言葉を録音しておく。法廷で加害者が、「そんな言葉は言った覚えがない」という発言をした後に件のテープを持ち出せば、それは水戸黄門の印篭のごとき効力を発揮することにもなる。
「つまり、テープの証拠価値を正当に評価して、法廷戦術の中でテープを、いつ、いかに使うかが問題です」(杉浦弁護士)
テープは弱者にとっての数少ない武器のひとつ。バカとハサミではないが、弱い証拠も使い方次第で強いカードに化けることもある、というわけだ。