「衆院選を前に支持率を上げたい」という思惑
76年前の広島で降った「黒い雨」による健康被害をめぐる訴訟について、国が最高裁への上告を断念した。これにより、7月29日、被爆者を広く認定する判断を示して原告の住民全員84人(うち14人死亡)を被爆者と認めた広島高裁判決(7月14日)が確定した。今後、原告全員に被爆者健康手帳が交付される。この手帳によって医療費は無料となる。
上告断念は、「上告しかない」という厚生労働省など政府内部の意見に対し、菅義偉首相が26日に突然表明したものだった。表明に際し、菅首相は首相官邸で記者団にこう説明していた。
「被爆者援護法に基づき、その理念に立ち返るなかで救済すべきだと決めた」「原告の多くが高齢者で、病気の方もおられる。速やかに救済するべきだという考え方に至った」
なるほど、素晴らしい政治決断である。しかし、真に国民のことを考えた決断ではない。菅首相の腹の底には衆院総選挙を前に支持率を上げて選挙を有利に戦いたいとの思惑や打算があると、沙鴎一歩は考える。
この連載で指摘してきたように、菅首相にとって国民は票田にすぎない。秋の自民党総裁選と衆院選に勝って首相を続投する。この自らの願望を実現するために権力を使い、上告断念を決断して人気を獲得しようとしたのだろう。
援護区域外の住民が「被爆者健康手帳」を求めて集団提訴
「黒い雨」は、1945年8月6日の原爆投下の直後に広島市とその周辺に降り、放射性物質や火災で発生した黒いススなどを含んだ雨を指す。訴訟は2015年11月にこの黒い雨を浴びた援護区域外の住民らが被爆者健康手帳の交付を求めて広島地裁に集団提訴したものだ。提訴から6年だが、原爆投下から数えると76年という長い月日がたっている。
終戦直後に広島管区気象台(当時)の技師たちが黒い雨の降雨範囲を調査し、1976年9月に国が一部を援護区域に指定した。しかし、多くの被害地域が漏れ、1978年11月、援護区域から外れた住民たちが被害者の会を設立して援護区域の拡大を求め、これが6年前の集団提訴へと発展した。
2010年7月には広島県と広島市が独自に調査を実施し、援護区域を6倍に拡大するよう国に求めた。2020年7月に広島地裁が原告全員を被爆者と認定する判決を下した。しかし、8月に国が広島県と広島市の反対を押し切って広島高裁に控訴した。
菅首相は今年7月26日の上告断念の表明で「同じような事情の方々も救済すべく、これから検討したい」とも語っていた。広島市によると、原爆投下直後に国が定めた援護区域の外にいた人は昨年時点の生存者で約1万3000人に上り、これらの人々も84人の原告とともに救済の対象となる見通しだ。