「化学の夢」を持ちいいリスクを取る

何もかもが、事実上「ゼロからの出発」で、苦労が多かった。でも、そんなことは、誰の前でも、おくびにも出さない。もちろん、成果をひけらかすこともしない。自慢も愚痴も嫌い。拠点の立ち上げに選ばれた身として、「仕事だから」と受け止めただけだ。

ただ、現地従業員との融和には、心を砕く。ボウリング大会などをやり、一緒にスケートやカラオケにもいく。日本から役員が出張してくる際には、日本的な土産をサンタクロースのように大きな袋に入れてきてもらい、ホテルで従業員全員が出る立食パーティーを開く。一緒に歌い、写真を撮り、盛り上がったところで、最後は福引。土産の品々を景品にして渡すと、歓声が続いた。担当役員の協力に、心中で手を合わす。いま、ベルギーはシンガポール、北京、ニューヨークとともに、海外の4大拠点の1つになっている。

「聖人、終不爲大。故能成其大」(聖人は終に大を爲さず、故に能く其の大を成す)──知徳が最も優れた人は、大きなことを成し遂げても、自身は大きなことをしたとは考えない。であればこそ、大きな仕事ができる、との意味だ。中国の古典『老子』にある言葉で、わずかなことをやって大仕事をしたような態度をとるようでは、本当に大きなことなどできない、と戒める。自慢にも愚痴にも無縁で、淡々と責務を遂げていく十倉流は、この教えに重なる。

帰国し、40代の終わりに電子材事業部門の部長となり、営業を担当した。入社以来、営業の第一線は初めてだ。だが、それも、8カ月で終わる。三井化学との事業統合の話が水面下で進み、技術・経営企画室部長に就き、統合協議の裏方のトップになったためだ。

01年4月、事業統合が発表される。業界大手同士の統合は、再編で規模がはるかに大きくなった欧米の化学メーカーを追撃する動きと、注目された。ただ、両社の歴史的な背景や企業文化には違いもあり、事業の構成や優先度にもずれが出て、03年春に撤回された。

それでも約2年間、事務局同士は全事業について様々な角度から論議を重ね、自社のいい点と足らない点を見つめ直すいい機会となる。これも「終不爲大」で、自慢も愚痴もなく、「思い出深い出来事」として胸の内に納めた。それが、いま社長になって、事業を再点検するうえで、貴重な経験となっている。統合がなくなり、執行役員になった後、いまや花形の電気自動車向けリチウムイオン電池の耐熱セパレーターや有機ELなど、先端技術分野で研究所と事業部の橋渡し役も務めた。これも、やはり、いま活きている。

ベルギーに赴任する前、世界の化学業界で大型再編が進み、日本勢は世界の上位10社に1つも入らなかった。それで「もっと規模の力が必要だ」と言われたが、社長になって、規模だけを追うことはしていない。それよりも、企業体質の強化に力点を置く。総合化学メーカーだから、いろいろな分野へ出ていくチャンスはあるが、総花的ではいけない。どこで勝負をするのかをちゃんと選ぼうと、中期経営計画でも掲げた。

日本の「ものづくり」に共通することだろうが、大切なのは、自分たちの技術の優位性で勝負できる分野に力を集中することだ。もちろん、それにもリスクは伴う。でも、ライフサイエンスや環境エネルギーなど、リスクの取りがいのある分野の地平は広い。もし、2025年に大阪万博の開催が決まったら、ライフサイエンスがメーンテーマになるかもしれない。就職時に感じた「化学の夢」の一端を、そこで披露できるかもしれないと思うと、胸が躍る。

住友化学社長 十倉雅和(とくら・まさかず)
1950年、兵庫県生まれ。74年東京大学経済学部卒業、住友化学工業(現・住友化学)入社。98年精密化学業務室部長、2001年事業統合準備室部長、03年執行役員。04年住友化学に社名変更。06年常務執行役員、09年専務執行役員。11年より現職。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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