世界中の志向は「サラダ」にむかう

いま、次の5カ年計画で何を打ち出すか、思案を続けている。和食を基調とした「いとはん」などの展開は、着実に進んでいる。前回紹介したように、キーワードは「絆」。「いとはん」を「糸」と「半」と書き、合体するとできる言葉だ。

世紀の変わり目を挟む「失われた20年」、各種の調査で、気になるデータが続いた。働く母親が増え、単身赴任の父親も多い一方で、子どもたちは夕方以降も塾通い。家族が一緒に食事をする機会が減り、そういう家庭の子どもたちは落ち着きを欠き、問題を起こしがち。学業にも影響する、という。だとすれば、いま何よりも必要なのは、家族の団欒であり、それをもたらす豊かな食材の提供だ。そう、思い続ける。

農耕民族が、日本の「食」の根源だ。だから、主役は野菜。健康志向と高齢化が進むなか、その原点に回帰しつつある、と実感する。いろいろな野菜に魚介類や発芽玄米などを組み合わせ、カラフルで美味しく、食卓が明るくなるサラダ。それを囲んで、集まる時間の少ない家族にも「絆」を強めてほしい。

自信は、ある。定点観測を続けているニューヨークやサンフランシスコ、イタリアでも、「食」の方向はサラダへと向かっている。サラダは「多様性」という今日的な言葉が、最も実現しやすい料理だ。

インターネットの普及は、予想よりはるかに速く、ハードもソフトも驚くほど便利になった。子どものころに「夢」と思ったことが、次々に現実となる。「サラダバッグ」のときとは、もう別の世界だ。一方で、全国にコンビニが4万5000店もできた。そろそろ飽和状態だろうから、コンビニ側も、新しいビジネスモデルを模索している。そこに、次の接点がある予感がする。

コンビニは、半径500~700メートルくらいの地域を、主たる商圏とする。これは、総菜店と似ている。いまや、百貨店にユニクロが入る時代。自前の店を増やし、すべて自前の場所で売る時代は、どの業態でも終わっているかもしれない。これからは、コンビニのスペースを借りるという道はないか。

鉄道の駅も面白い。首都圏に出て30年、いま全社の売上高の6割強を占め、その半分近くが駅に接した店の分だ。駅のビルを出ないで乗り換えができるところの集客力は、大きい。潜在市場は無数にあり、先日は仙台や高崎の駅ビルに出店した。

課題は、コンビニや駅ビルでどう新しいビジネスモデルを築くかだ。相乗効果を生む共存や補完関係が欠かせない。例えば、自分たちのサラダに合ったドレッシングやパン、ワインとの組み合わせもある。定点観測によると、パリやロサンゼルスでは、他社の製品もそろえてブランド力を強化する店が増えていた。小売りという業態にも、新しい進化が求められている気がしている。

30代の後半には、やりたいことをやれたら、40代で死んでもいいと思っていた。ところが、株式を公開し、事業を拡大して「まあ、60歳まではやらないと」となる。さらに「60歳じゃあ、ちょっと足りない。65歳までやるか」「いや、70歳だ」となってきた。その70歳も過ぎた。2年ほど前から「どうするか?」と悩んでいる。80歳までやれという人もいるが、77歳の喜寿までかとも思う。そうは言っても、また延びてしまうのかもしれない。何しろ、総菜が大好きなのだ。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)