「四角い檻」に閉じ込める、それが学校

いじめの把握には、生徒の協力が不可欠になります。いじめは被害者と加害者だけからなる現象ではなく、周囲ではやし立てる観衆や、見て見ぬふりをする傍観者もそれに加担しています(森田洋司教授、いじめの四層構造論)。

重要なのは、数の上で多い傍観者をして、いかに仲裁者・申告者に変えるかです。

匿名のいじめ申告アンケートもいいですが、いじめを許容しない雰囲気(クライメイト)を、学級内に育む必要があります(文科省『生徒指導提要』)。

ここで「学級」という言葉が出ましたが、小・中・高校における「学級」という集団を何とかできないかと、私は前から考えています。朝から夕方まで学級という四角い檻に閉じ込められ、逃げ場がないと感じる子どももいるわけです。

私は大学に入った時、「クラスがないって、素晴らしいことだ」と感嘆した記憶があります。集団が固定されてないわけですから、いじめなど起きようもありません。実際、大学で「いじめ」なんて、あまり聞かないですよね。

歴史を振り返ると、学級は普遍的なものではありません。近代になって産業革命が起き、読・書・算ができる労働者を迅速に大量育成する必要から、便宜的にできただけのことです。わが国では、明治期以降の140年ほどの歴史しか持っていません。学級をして、絶対で普遍的な制度などと考える理由は、どこにもありません(柳治男『学級の歴史学-自明視された空間を疑う-』講談社、2005年)。

小学校はともかく、中高の学級(ホームルーム)の風通しをもう少しよくできないものか。

最近、大学生をもっと勉強させようという狙いで、大学の「中高」化が進んでいるように見えますが、必要なのは、中高の「大学」化ではないかと思っています。

今は、学校に行かずとも、ITを使って知識をいくらでも得ることができます。自宅でのIT学習をもって、指導要録上の出席扱いと認めてくれる制度もあります(一定の条件附き)。

まだ実現はしていませんが、学校に通えない子どもを受け入れるフリースクールを正規の学校と位置付けよう、という案が出たのも注目されます。

ようやく、学校(学級)という四角い空間への絶対信仰が揺らいできました。児童・生徒のみなさん、「逃げ道」はあります。いざとなったら、積極的に「逃げ」を図っていただきたいと思います。あと数年したら、不登校に対する認識も大きく変わっているだろうと、私は確信しています。

(図版=舞田敏彦)
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