日米で販売、出荷待ち状態が続く

全方向に移動できる「オムニホイール」を採用した。

WHILLは現在、台湾で生産され、日本とアメリカで販売されている。2014年9月に販売開始して以来、累計で450台を出荷している。引き合いが多く、台湾での本格的な量産体制を築くために、内藤は頻繁に台湾に出張している。

「2011年の東京モーターショーにプロトタイプを出品し、反響を頂きましたが、特にアメリカの人たちに好評で引き合いも多かったものですから、アメリカにも本社を置き、販売を始めました。アメリカの市場は日本の8倍と言われており期待しています。アメリカではヘビーユーザが多く、生活の一部として使いこなしています」

アメリカのベンチャーキャピタルからも資金を調達し、現在、全米各州に代理店網を構築中だ。日本では、フランスベッドや自動車ディーラーのヤナセ、メガネのパリミキなどが代理店となって販売している。また、ANAと協力して、WHILLを活用したツアーも企画し、好評だという。

内藤は1983年、愛知県豊橋市生まれ。名古屋大学大学院工学研究科を修了し、2008年にソニーに入社、車載カメラなどの開発に従事した。ソニーでの仕事も充実し、独立して起業するつもりなどなかったという。

ところが、内藤のものづくりへの情熱や社会への思いがサラリーマンでいることを許さなかった。内藤は名古屋大学在学中から同期と一緒に朝の勉強会を開いていた。共同創業者のひとりである福岡宗明(最高技術責任者)もそのときの同期だ。勉強会は大学院まで続き、就職後も集まっては「社会的な問題にエンジニアとして取り組みたいね」と話していた。ちなみに、福岡はオリンパスに入社し、医療機器の開発を担当していた。

勉強会や話だけでは次第に満足できなくなり、「陽の当たりにくい分野で、何か面白いプロジェクトをやろう」という狙いで、他の仲間も集めて「サニー・サイド・ガレージ」というエンジニア団体を2009年に設立した。10人ほどが集まった。仲間のひとりが、現在、WHILLの最高経営責任者である杉江理の友人で、杉江も活動に参加することになった。

そのプロジェクトの第一弾が、実はアートだった。風船の中に光る基板を入れて、風が吹くと風船が光るという仕掛けで、評判がよく、賞も取った。

そして、次のプロジェクトが車椅子だった。先進国が寄付した車椅子が実は発展途上国では使いにくいという話がきっかけとなり、内藤たちは車椅子について調べ始めた。実際に車椅子ユーザの声を聞こうと、あるリハビリテーションセンターで出会った人の言葉が内藤たちを本気にさせた。彼はこう言ったのだ。

「100メートル先のコンビニに行くのをあきらめる」