大卒でメリットもデメリットもなかった
山脇(港区)の制服が、大正時代の制服のデザインをほぼそのまま受け継いでいることにも感銘をしたという。頌栄女子学院(港区)や青山学院(渋谷区)、聖心インターナショナル(渋谷区)などの、ひざまでのチェックのスカートにもインパクトを感じたようだ。当時は、このようなスカートは、都内の高校でも数えるほどしかなかった。
「チェックの柄のスカートは伝統校や名門校に多かったのです。80年代後半に、その流れが変わります。千代田区にあった嘉悦女子高(現在、かえつ有明高校)がスクールアイデンティティ戦略の一環として、チェックの短いスカートにしたのです。校舎もカリキュラムなども含め、大胆に変えました。
これを機に、人気校となり、入学難易度が大きく上がりました。嘉悦女子の当時の取り組みは、女子高の制服の歴史で大きな意味を持っているといえます」
女子高の制服について深い知識と独自の見識を持つだけに、静かな口調ながらも熱く語る。5年以上の歳月をかけ、150校ほどの私立高の女子生徒の制服のイラストを描きためたのが、1985年に発売された『東京女子高制服図鑑』(弓立社)だ。大学5年のときだった。
「いやらしさを感じさせることは、避けたかったのです。淡白で、妙な色気が感じないようなタッチで描いていました。かわいらしく、健康的に……」
この類の本が少なかったこともあり、当初から売れ行きがよく、静かなベストセラーとなる。森氏によると、初年度だけで売れたのが8万部を超えたという。その後も増刷を繰り返し、1994年までに改訂版が次々とつくられた。出版業界では、めずらしいことだ。
いちやく名が知られるようになり、仕事が次々と舞い込む。制服について文章を書いたり、イラストを描くものが多かった。その後、廃刊となるが、『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)でコラムを書くようにもなる。制服のメーカーなどからの講演や、テレビ番組への出演依頼もあった。
大学は、1988年に7年かけて卒業した。卒論のテーマは、制服だった。当時、中学で英語の教師をしていた父親も、一応は安心したようだ。だが、会社員になることは考えなかった。
「僕は、自分が会社で働く姿が想像できないのです。会社員になりたい、と思ったこともありません。大学を卒業したことでメリットもなければ、何かの障害になったこともないですね。父は、今もこんな僕を心配しているようですが……(苦笑)」