わずか50年でものづくり大国ニッポンへ

大船建造禁止法がとかれると、薩摩ではいち早く洋式艦昇平丸(54年竣工)の製造にも挑戦した。しかし心意気はあっても、遠くからどかんと撃てる大砲を積んだ鉄の蒸気船をつくる技術などなかった。

徳川体制の日本が300年という長い眠りについている間、イギリスでは産業革命がおこり、技術革新とともに世界地図を塗り替えていく。そのイギリスに刀剣と匠の技では到底歯がたたない。

薩英戦争や下関の海戦で惨敗し、科学に対抗できぬ己の非力を感じ取った侍たち。が、その転換は早かった。攘夷の嵐のなか長州ファイブ(井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、野村弥吉)と呼ばれる5人の青年は国禁を犯してイギリスに留学し、明治新政府の中核となった。薩摩スチューデントも串木野港から密航し、イギリスへと向かった。海を渡った志士は、イギリスの技術知識と技術者を連れて帰国する。アジアの小国は大英帝国を師匠に、「懸命な努力」で、港をつくり、灯台をつくり、蒸気動力を導入し、工業社会をつくっていく。

ここにある写真の数々は、古来宿る名もなき人々の「匠の技」と、豊かな国を目指し、海を渡った志士たちが持ち帰った「西洋技術」という文化が稀有な形で融和し、わずか50年足らずの間にものづくり大国の礎としての産業文化が形成された足跡だ。

大戦や経済不況や災害、時代の波にのまれ、逆風にさらされながらも、日本の産業文化は途絶えることなく世代を超えて継承されてきたことに思いを馳せたい。