柔和で温厚なイメージの稲盛和夫氏も、10年2月に日本航空の再建を託されて会長兼CEOとして着任した当時、社内ではコワイ上司として意識されていた。植木社長は稲盛前会長のもとで執行役員として再建の最前線に立った。親方日の丸体質からの脱却だが、当初は思い悩んだ。

「再建の最中、稲盛会長に『やっぱり苦しいです』と打ち明けたことがあります。そんな私に『君の大義はどこにある。残った社員とその家族の生活を守ることが、君に与えられた大義ではないのか。それをしっかり背負ったとき、人間は強くなれるんだよ』と諭されました。沈んだ心が鼓舞されたのを、昨日のことのように覚えています」

立場上、会議でも稲盛会長から“京セラ哲学”を説いてもらうことが多かった植木社長。何人かいる場所で話す稲盛氏と、2人きりで語るときの稲盛氏は違うという。当時は日航社員のいたらなさに会議室などで激昂することもあったが、会長室ではやさしかった。

「稲盛に予定がないときは部屋に入ってもいいとされていますが、遠慮して誰も行こうとしません。ドアが閉まっているとやはり入りにくいので、一度、部屋のドアを外してのれんにしてくれませんかと提案しましたが怒られました(笑)。それでも私は、一人で入っていってわからないことは『わかりません』と伝えて教えてもらいます。他の役員にも『行け!』と尻を叩いているんです」と話す。

この恐れ知らずの性格は、若いころからだった。

「私たちが入社したころは、非常に厳しいパイロットもいました。なかには、ちょっと気に障ったら大変という本当にコワい50代の機長も。でも、そういう方は、後輩に対して強い情熱を持っている。だからこそ厳しいのです。そこから逃げたらおしまい。懐に入っていかなければ。一度入ると、もう結構ですと言っても面倒を見てくれます。そんな関係のなかで様々な技術を学んでいくのです」

取締役からも退いて稲盛名誉会長となってからも、2人の会話は継続している。

▼上に好かれる叱られ方3カ条
【1】コワくても役員室・社長室に飛び込んでみる
【2】叱られるときはしっかり叱られる
【3】翌日、上司をフォローするひと言を
サバンナ
高橋茂雄
1976年、京都府生まれ。94年よりお笑いコンビ「サバンナ」を結成。「太鼓持ち芸人」として知られ、テレビや劇場を中心に活躍中。
 
日本航空社長
植木義晴
1952年、京都府生まれ。慶應義塾大学法学部を中退後、航空大学校へ。75年に卒業し、日本航空(JAL)入社。2010年、執行役員(運航担当)、12年2月、社長就任。
 
(的野弘路=撮影)
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