本当の意味で、「わが子を守る」とは?

あるイギリス人が、笑いながら私に話してくれた。「私の家は代々、名門校を卒業して、オックスフォード大学かケンブリッジ大学へ行くのが伝統でした。私も高校までは名門校に進学しました。でも、わが家系の200年の歴史の中ではじめて私が、オックスフォードにもケンブリッジにも合格できませんでした」。

相当なプレッシャーだったはずだ。しかし父親は「そういう人生もある」と認めてくれたそうだ。彼は今、日本で音楽関係の仕事に就いている。素晴らしい人生を送っていると語ってくれた。名門校に通い、オックスフォードやケンブリッジを卒業する人生だって悪いものではない。素晴らしい人生だろう。しかしそのこと自体が目的化すると、人生がそのルートに規定される。

わが子がそのルートから離脱するに際しては、父親にだって葛藤はあっただろう。しかしこの父親は、それを引き受けたのだ。恐怖を息子に引き継がず、自分の代で断ち切ったのだ。これこそ本当にわが子を守ることではないかと私は思う。

最近私は『追いつめる親 「あなたのため」は呪いの言葉』という本を書いた。そのために、壮絶な教育虐待の実態を取材した。ときどき言葉を失った。しかし教育虐待の闇を照らすことで、「教育とは何か?」「親の役割とは何か?」が見えてきた。すべての親と、未だに親子関係に葛藤を抱えるすべての大人に、読んでもらいたい。

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