執刀医が記す「手術記録」の重要性
私が平日はほとんど毎日実施している心臓外科手術では、想定外の事態が起こることもあります。その度に、私たち外科医、麻酔科医、臨床工学技士、放射線技師、看護師、薬剤師が総力戦で、患者さんの命を守るように全力投球をするようにしています。そういったことの積み重ねでいまがあるわけですが、これまで手術を続けられて来られた理由の一つは、手術記録を自分で書くようにしてきたお陰ではないかと考えています。
手術記録は、手術の目的、手術日や開始・終了時間、行った術式、経過、結果などを記録しておくものです。手術記録を書き始めたのは、亀田総合病院にいた30歳のころからです。現在は年間500例の手術を執刀していますが、いまでもすべて自分で書くようにしています。順天堂に移ったときに、「手術記録は教授が書く必要はありません」と言われ、一時若手の医局員に任せたことがあるのですが、すぐに自分で書く方法に戻しました。終わったばかりの手術を振り返って場合によっては改善点を見つけ外科医として前進するためにも、やはり執刀した自分自身が書くのが一番だと考えています。
図解を交えて手術記録を書く医師もいますが、私の記録は文章だけで、A4版の用紙1枚に仕上げるようにしています。再手術のケースで長くなる場合でも最大2枚までとし、コンパクトにまとめます。私が心がけているのは、医師以外の人でも、記録を読めば手術の様子を思い描けるように写実的な文章を書くことです。
医療安全という点でも、手術記録は重要です。群馬大病院での腹腔鏡手術による死亡例の多発では、手術のインフォームド・コンセントに関する診療記録が乏しかったことが問題になりました。新東京病院(千葉県松戸市)にいたときに、1度だけ、私が執刀した手術に関して病院が訴えられことがあります。その際、痛感したのが手術記録の重要性です。手術記録をきちんと書いておいたことで事実がきちんと証明され、救われました。こういうご時世ですから、できる限り、患者さんとその家族とは信頼関係を築くようにしても、手術の結果次第では、訴えられるリスクがあるのです。
手術記録は手術の直後から翌朝までには書くようにしています。しばらく経ってから記録を書くと、手術の詳細を忘れてしまい、写実的な描写ができないからです。記憶が新しいうちにすぐに書いたほうが、詳細な記述が短時間で書けます。ビジネスの世界でも、問題を先送りにせずに、「すぐやる人」になるためにどうしたらいいかという本が売れているようです。できる限り早く記録を付けておくことは、医療の世界でも非常に重要です。どんなに良い手術でも終わってしまえば過去の手術です。自ら内容を振り返り、その中から反省と工夫を見出すことが次の進歩につながるものです。これは医療の世界だけではなくて、読者の皆さん全てに必要な姿勢ではないでしょうか。
順天堂大学病院副院長・心臓血管外科教授
1955年埼玉県生まれ。83年日本大学医学部卒業。新東京病院心臓血管外科部長、昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授などを経て、2002年より現職。冠動脈オフポンプ・バイパス手術の第一人者であり、12年2月、天皇陛下の心臓手術を執刀。著書に『最新よくわかる心臓病』(誠文堂新光社)、『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)、『熱く生きる 赤本 覚悟を持て編』『熱く生きる 青本 道を究めろ編』(セブン&アイ出版)など。