「キャリアなんて横から割り込めばいい」
松浦社長が港南台の貸レコード店に自分の道を見つけ出したその頃、下高井戸にある文理学部のキャンパスには映画製作に熱中する男がいた。日活の佐藤直樹社長である。
佐藤社長が映画の世界に出合ったのは日大に入学した1981年、サークルの勧誘でごった返すキャンパスを歩いていたときのことだ。校内の芝生で酒を飲んでいる集団がいた。周囲に転がっているのは、当時あった1980ミリリットル入りの瓶ビール「サッポロジャイアント」や一升瓶。彼らと視線が合った佐藤社長は、「文理学部映画研究会」に勧誘された。部室に置いてある数々の機材、当時はまだ色濃かった映画人たちのアウトロー的な雰囲気。先輩たちの勧めでいくつもの名画を見る中で、彼は映画製作の世界に魅了されていった。
「それからの学生生活は映画製作一筋。企画から資金集め、監督選び、キャスティング、上映会の準備まで、すべてやりました。大学時代の経験が僕の人生を決めたようなものです」
映画製作の現場には学生時代から関わっていたが、卒業後はすぐに映画会社へ就職したわけではなかった。
CM制作会社などを渡り歩き、大映に契約社員としてもぐり込んだのは30歳の頃。以後、「平成ガメラシリーズ」に携わるなどプロデューサーとして頭角を現し、同社の国内映画部門を引き継いだ角川映画では、映画製作担当の取締役を務めた。
日活の社長となった現在に至るまで、映画製作についてはある一つの姿勢を貫き通してきたと彼は語る。
「学生時代から、映画作りは“勝つか負けるか”だと思ってきました。商業映画では興行収入で勝利することが最も重要。そのうえで作品としても評価されたい。どんなに努力を積み重ねても負けることはあります。でも、だからこそ面白いし、一生懸命になれる世界だと感じています」