人口経済学によれば、一国の人口は、社会経済の発展に伴い出生率、死亡率がともに高い第一局面「多産多死」から「多産少死」へ、さらに「少産少死」「多死少産」の各局面へと移行する。「多産少死」の第二局面では人口が爆発的に増加するが、「少産少死」の第三局面に入ると、働き盛りの生産年齢人口の割合が上がり、14歳以下の子どもも、65歳以上の高齢者も比較的少ないという負担の軽い社会が形成される。経済が成長し、国も家計も豊かになる。
各国の人口動態がそのうちのどの局面にあるかは、国そのものの発展時期や医療技術や公衆衛生制度、出産・育児に関わる諸費用などに依拠する。図1は中華人民共和国が成立した49年から13年における出生率、死亡率および両者の差からなる増加率、総人口の推移を表すものだ。50年代末、「大躍進運動」が失敗した異常期を除けば、中国の人口転換はほぼ前述のセオリー通り推移しているといえる。
同図では多産多死という人口転換の第一局面は観測されないが、50年代、60年代には、多産少死およびそれに起因した人口爆発が見て取れる。70年代に入ると計画生育政策が施行され、80年代以降は規制のより厳しい一人っ子政策が採られた。その影響で、中国は発展途上国でありながら、早くも人口増加率を先進国並みの水準に落とし、欧米などの先進国に比べてはるかに速いスピードで第三局面の「少産少死」に突入したといえる。
人口増加の速度を落とし、食糧をはじめとする諸々の資源の不足を緩和するという一人っ子政策の目的はほぼ期待通り達成されたが、生産年齢人口の急増とともに、総人口に占めるその割合も急上昇したことは、全くの想定外であった。
中国の生産年齢人口は82年から10年で3億8000万人増え、総人口に占めるその割合も61.5%から74.5%と13ポイント上がった。働いて収入を得る人が多く、子どもの養育・教育費も、高齢者にかかる介護や医療、年金の負担も比較的少なくて済むという状況下で、家計貯蓄率(可処分所得に占める貯蓄の割合)が同期間中15ポイントも上昇し、25%に達している。
高い家計貯蓄率は高い投資率を支え、雇用機会の創出に寄与し、潤沢な資本と豊富かつ安価な労働力の結合によって新たな生産能力が形成された。それに、国も家計も学校教育への投資を増やし、潜在的能力の高い人材を養成し労働市場に供給し続けている。18歳人口に占める中学以上新卒者の割合は90年の43%から10年の87%に、85年にわずか2.8%だった高等教育機関に進学した若者の18歳人口比率も12年には37%に上昇した。資本、労働、教育(研究開発を支え技術進歩を促すもの)という経済成長の源泉がいずれも急増したわけで、経済成長も当然の帰結といえよう。