息子には社長業をやらせたくない

ベネッセホールディングス会長兼社長 原田 泳幸氏
――誕生日をリストラで飾ったわけですね。ストレスはないのですか。

【原田】あまり自分では感じていません。ないつもりですけど、きっとあるんでしょう。健康管理のため定期的に運動をしていますが、トレーナーからは「疲労が溜まっていますね」といわれます。原因はストレスなんでしょう。

――経営者は孤独だといいます。

【原田】それは確かにありますね。本音は誰にもいえません。女房は気を使って、まったくどうでもいいようなことしか話題にしません。孤独を感じることはあります。経営者として走り続けていなければ、死んでしまうでしょう。

――なぜそこまで頑張れるのですか。

【原田】やはり、やりがいがあるから、エネルギーが出るんです。私は決して「プロ経営者」ではありません。プロはたくさんいます。私は「一番熱心な雇われ社長」です。熱心であることは自信を持っていえます。ゴルフをやったら肋骨が折れるまで練習しますし、ランニングを始めたらトライアスロンまでやってしまう。苦境に置かれるほど、エネルギーが出てくるんです。

ただ、変なたとえですけど、息子には社長業だけはやらせたくないと思います。自分をかわいそうだとは思いませんが、息子がメディアに批判されたり、プレッシャーを感じたりする姿を見るのは耐えられない。平凡でもいいから、友達と仲良く、平和な生活をしてほしいなとやっぱり思いますよ。

――何がキャリアの原点ですか。

【原田】私は、日本NCRのエンジニアとして働き始めました。本当に鍛えられました。たとえば人間は理不尽なことを周りから求められない限り、イノベーションを起こせない。「できないことをやる」「非常識を常識にする」。これらを徹底的に叩き込まれました。同時に、すべてのビジネスチャンスは現場にある、と学びました。トラブルを解決するため、真夏のラスベガスから真冬のノルウェーまで、いつ帰ってこられるかわからない旅をしました。1~2カ月に1回しか出ないトラブルをずっと監視するわけです。

エンジニアという仕事は、ちょっと考えればすぐ答えが出るかもしれないし、1年考えても出ないかもしれないという世界です。それでも期限内に成果を出すことを求められる。とんでもないプレッシャーがかかるのですが、私は天職だと思っていました。

30歳を過ぎて、営業への転属をいい渡されたとき、私は「絶対にいやだ」と拒否しました。それでも上司にいいくるめられて、少しずつ営業の仕事をするようになった。そのうち「技術の世界だけにいなくてもいいかもしれない」と思い始めました。さらに30代後半にシュルンベルジェで取締役事業本部長として、事業の責任者になり、違うフェーズに移ったと感じました。