宮沢賢治の精神のなせるわざ
振り返ると、男が仰向けに寝ている。
「はて、いつの間に」
先程は路上には何もなかった。私が通過した直後に出現したものと思える。突然の事態に、狐につままれた気分で、ぼうっと突っ立っていると、わらわらと人が集まり、その人物の名であろう、呼びかけたりしている。
「店を出るとき、よろけていたんだ」
「すってーん、カーンだべさ」
「なまじ禿だけに、音が出たか」
「どんぱん節ならケガねぇでよかったな、だけんど、毛がないと後頭部直撃だもんな」
拍子木にあらず、この禿頭が路面に激突して生じたものと判明した。そうこうしているうち、救急車が到着、搬送されて行った。
思い返すと夢か幻のような不思議な出来事のようでもあるが、酔っていたとはいえ、なにしろシバれる寒さで、幻覚などではない。
宮沢賢治は躁鬱病の傾向があり、幻覚症状があったのではないか、との説もある。躁病(マニー)の要素を詩から見出すのは難しいが、鬱病(メランコリー)はそれらしきものがいくつか指摘できそうだ。
「北上川が一ぺん汎濫しますると 百万匹の鼠が死ぬのでございますが その鼠らがみんなやっぱりわたくしみたいな云ひ方を 生きているうちは毎日いたして居りまするのでございます」(「春と修羅 第二章 序」)
なにもここまで卑下しなくても、と私などは思ってしまう。福島章医博は著書「宮沢賢治 芸術と病理」で、
「気分状態の昂揚と低下、すなわちマニーとメランコリーの波こそが、賢治の『幻覚』的体験の主要なる母胎であるように思われる」
と、診断している。
「ビヂテリアン大祭」の著者であり、肉食すら自らに禁じていた賢治が、酒なんぞ口にしていたとは思えない。ストイックな生活! 痛風ニモ負ケズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ……。アア(吐息絶句)。