「手話の娯楽がなかった」

手話における永遠の課題は新語への対応である。日々生まれる商品名や固有名詞を手話でどう表現するのか。従来、日本における新語は日本手話研究所で有識者によって造語、登録されてきたが、それだけでは対応不可能である。

スリントには「FIT」(ぴったり)という機能があり、誰かが登録した新語がいいと思えば、FITボタンを押して賛同する。評価の高い新語は上位に表示され、新語として認知される仕組みだ。

こうした機能を使って、企業が新商品の製品名を公募することも可能で、大木は企業に課金することで収益源にしたいと考えている。また、ユーザが増え、データが充実してくれば、バナー広告を掲載したり、手話事典のデータベースを企業に提供して収益を得ることも可能だ。実際にデータベースを利用したいという企業も出てきた。

大木が手話に惹かれるようになったのは、大学に入ってからだ。2007年に慶應義塾大学環境情報学部に入学した大木は、視野を広げるために何かをやりたいと考えているうち、中学2年生の時にテレビで見た手話の記憶がふと蘇った。そのとき、手話って面白いと感じたことを思い出したのだ。

さっそく、手話サークルを探したがすでに廃部。あきらめて写真サークルやテニスサークルに入ったが、あまり面白くない。そんなとき、偶然にもクラスの友人が手話を勉強しないかと言ってきた。不思議な縁を感じた大木は手話を勉強し始め、1年生の10月に手話サークルを設立した。

メンバーが10人ほどにもなった頃、ある友人の誘いでNHK紅白歌合戦に出場し、同じ学部の先輩である一青窈の手話バックコーラスとして出演した。それが話題になり、各地のコンサートにも手話コーラスとして呼ばれるようになった。

大木は「これまで手話の娯楽がなかったから注目されたのだ」と気付いて、手話で娯楽番組を作ろうと思い立った。2年生の5月に「手話ネット(現リンクサイン)」というボランティア団体を設立して、手話による旅行情報番組を作った。