これで日本と軍事行動を共にできる
憲法解釈の見直しによる集団的自衛権の行使容認に対して、多くの憲法学者が「日本の立憲主義は崩壊した」と嘆く。しかし、そもそも日本にまともな立憲主義があったのかと思う。立憲主義を貫くなら、自衛隊は立派な憲法違反である。「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と憲法で謳っているのだから。
他国から攻め込まれても、武力行使を放棄した日本にできることは、国連にでも訴えるか、警察を使って自衛するしかない。しかし、やられたときにやり返すぐらいはいいじゃないかということで、憲法解釈でまずは個別的自衛権が容認された。つまり、「自衛権が行使できるのは日本が攻撃されたときのみで、集団的自衛権は憲法上許されない」というのがこれまでの政府見解だったわけだ。
安倍政権はこれを大きく逸脱して、自衛隊が海外で戦闘行為に参加できる道を拓いたのだが、「平和の党」を自任する公明党の抵抗で武力行使の3要件が文言に加えられて、何となくタガが填められたような印象を受ける。コワモテだった集団的自衛権の“角”が取れて、国民にも呑み込みやすくなったと評価する新聞もある。
だが、それは国内向けのアナウンスにすぎない。集団的自衛権行使容認の閣議決定があった翌日、フィリピンのニュースを見ていて驚いた。声高に非難する中国や韓国とは対照的に、フィリピンのアキノ大統領が、
「これからは中国と揉めても日本が助けにきてくれる」
と国民に向かって真顔で語りかけていたからだ。
オーストラリアのアボット首相も、
「これで日本と軍事行動を共にできる」
という言い方をした。アボット首相といえば、今年4月の来日中にNSC(国家安全保障会議)に出席している。国家元首がNSCに参加するなど異例中の異例。安全保障面での日豪関係の深さがうかがえるが、国連PKOや多国籍軍に積極的に参加しているオーストラリアと軍事行動を共にするとなると相当な覚悟が必要だ。
アキノ大統領にしても、アボット首相にしても一国のリーダーが朝日新聞の英字版などを読んだだけでそんな発言をするわけがない。然るべき筋から“角”が取れていない話、つまり友好国が攻撃を受けたら駆けつけるという話が伝達されたことは間違いない。そうでなければ、自信を持ってメディアには語れまい。
アメリカ下院の国防委員会では、
「これでアメリカの財政負担が軽減する」
と閣議決定を歓迎している。少なくともアメリカが日本を助けるだけではなく、日本もアメリカを助けてくれる「双務性」がようやく実現した、と喜んでいた。
過去の自民党外交がそうであったように、集団的自衛権に対する国内外の認識ギャップは伏せられたまま、事態は進行する。戦前のように、気がついたときに後戻りできない状況がいつかやってくるのかもしれない。