岸田君が両親に“新聞奨学生になって大学に通いたい”と言うと“そうまで言うなら、何も言うことはないよ。大変だけど頑張りや”と励ましてくれたという。

1週間の共同生活の中で、彼の口から、自分の置かれた環境への愚痴は一言も聞かれなかった。

「正直恵まれていると思います。学費と給料を合わせたら、年間300万円ほどのお金をいただいている。体力的な厳しさや時間の制約はあるけれど、社会人になって同じ額を稼ぐことを思えば苦ではないです。そのうえ、大学にも通わせてもらえている。給料の中から親に毎月5万円仕送りしていますが、それでも勉強や遊ぶお金には不自由しないです」

それまで私は親が学費を出して当然だと考えていた。大学進学の際も、特にありがたいとは思わなかった。

「なんで親が学費を出してくれないんだって思ったことはないの?」

「親が大変なのを見ていたから、出してくれないことを恨んだりしたことはなかったですね」

“私立大学は学費が高い”と私立大学への進学を反対され、親に食ってかかった私と大違いだ……。無理を通して進学した揚げ句、授業には必要最低限しか出席しなかった。

「最初のころは、新聞配達と大学の授業との両立で苦しんで、配達中に何一つ明かりのついていないマンションを見て、“俺は何をやっているんだろう”と思った時期もあります。でも、この道を選んだのは自分だし、人生の苦労を先取りしていると思えるようになってから、自分が置かれている状況を前向きに見られるようになりました」

自身も新聞奨学生をしながら大学へ通ったという読売新聞大阪本社の村田和廣専務はこう語った。

「新聞奨学生は朝起きるのが辛い。雨の日が辛い。友人の付き合いを断るのが辛い。でも、その大変さを知りながら、18歳の若者が“親に頼らず大学に行く”と決断した点を一番評価してほしい」

岸田君との配達中、何度もこの言葉を思い出した。“18歳のころの自分は、新聞奨学生になるという選択ができただろうか……”

岸田君もあと1カ月余りで大学を卒業し、この販売店を去る。この就職難にもかかわらず、就職先はすんなり決まったそうだ。

「新聞奨学生と履歴書に書けば、説明が多少下手でも、どんな経験をしてきたかが伝わる。自分でも自信を持って面接に臨めたと思います」