時価で評価するかどうかで「数字」は変わる
ではこの埋蔵金、実在するのかといえば、先ほど述べた通り、私は懐疑的である。
近年、外貨準備が急に増えたのは2004年頃なのだが、この時期にわが国は約3000億ドル分の米ドルを買って為替介入を行っている。そのときの介入点は、1ドル105~106円。
では、現在の円・ドルの為替レートはどうなっているかといえば、ご承知の通り1ドル80円前後である(2012年5月時点)。つまり04年当時を基準に考えると、1ドル当たり約25円もの為替差損が生じている計算になる。つまり、現在わが国が所有している1兆ドルの外貨準備は、埋蔵金を掘り起こすどころか20兆円を超える巨額の含み損を抱えているというのが、私の解釈なのである。
別の言い方をすると、埋蔵金は時価評価をすれば存在しないが、時価評価をしなければ存在することになる。政府は「時価評価なんかしなくたって、為替レートが以前と同じ水準に戻れば済む話じゃないか」というスタンスだと考えられるが、同じ政府が上場企業に対しては時価会計を強要しているのだから、おかしな話である。
一般に数字とは、物事に具体性、客観性を持たせるものである。しかし、この埋蔵金の例が示すように、解釈の仕方によって数字が存在したりしなかったりするケースもあることを知っておかなくてはならないだろう。