東電が現金をかき集めた理由

もうひとつ、手元流動性に絡んだ興味深いデシジョン・メーキングを、最近目の当たりにした。それは、福島第一原発事故直後の東京電力の動きである。

ご承知の通り東京電力は、毎月の電気料金を現金で集めている企業である。平たい言葉で言えば、日銭が入る会社だ。それゆえに東電の従来の手元流動性は、比価的低いレベルで維持されていた。日銭がコンスタントに入ってくるのだから、資金繰りに困ることはそれほどなかったのである。先ほど、月商の1カ月分ほど現預金を持つのが一般的だと述べたが、東電の手元流動性は、それよりもはるかに低いレベルだったのである。

ところが、原発事故が起こった直後、東電は銀行から約2兆円もの資金を借り入れて、それまでの3倍以上の手元流動性の確保に走ったのである。「危なくなったら現金を多く持つ」という、ファイナンス的には企業経営のお手本のような早業であった。

銀行がなぜ未曾有の大事故を起こした東電に融資をしたのか、そこに国からの後押しがあったのか、それは私にもわからないが、事故直後に手元流動性の確保に走っていなければ、おそらく東電は資金繰りから経営破綻していたことだろう。

もちろん私は、東電の経営体質を褒めるつもりは全くないし、それどころかJALのように1度法的な整理をしたほうがいいとさえ考えているのだが、手元流動性の確保に限って言えば、東電のデシジョンは正しかったと思う。少なくともファイナンスという側面から見れば、非常に優れた経営判断だったと言っていい。

貸借対照表上、いくら純資産があっても、その反対サイドに適切な大きさの現預金を持っていなければ、企業はいとも簡単に潰れてしまう。黒字倒産が発生するのはそのためである。しかし、財務諸表の読み方を解説している本は山ほどあっても、数字の規模感やバランスを教えてくれる本は少ない。そして、規模感が掴めていないと、いくら財務諸表が読めても粉飾の気配を察知することはできないのである。数字を読むには統計学や会計の知識が重要だと言ったが、それだけでは数字に騙されてしまう。数字の規模を感覚的に掴む訓練と経験が必要なのだ。

小宮一慶●1957年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業後、東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。米国ダートマス大学エイモスタック経営大学院留学(MBA)。96年小宮コンサルタンツを設立。著書に『1番わかる!ロジカルシンキング』(PHPビジネス新書)、『ビジネスマンのための「数字力」養成講座 』(ディスカヴァー携書)など多数。
(構成=山田清機 撮影=市来朋久 写真=ロイター/AFLO)
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