家計や企業はインフレをどう予想するか
かつてインフレ率が高かった時代には、政府が価格と賃金に対して規制を課すという所得政策が採用された国があったが、その場合にも中央銀行がその規制を課したわけではない。中央銀行は、インフレ率をコントロールするためには、生産物の供給者である企業あるいは生産物の需要者である家計や企業に金融政策手段(金利や貨幣供給量)を通じて働きかけなければならない。すなわち、中央銀行は間接的にしかインフレ率に影響を及ぼせない。
さらに、中央銀行は、家計や企業が抱く予想インフレ率を直接的にコントロールすることは一層困難である。さらに、家計や企業が抱く予想インフレ率と異なるインフレ率を中央銀行が一時的に実現したとしても、次の雇用契約更改の段階で、家計や企業は予想インフレ率を修正して、名目賃金の上昇が要求され、結局、一時的に低下した実質賃金率は元の水準に上昇してしまう。すなわち、予想されないインフレを経験した後では、家計や企業は、インフレ予想を修正するのである。そして、その帰結として、自然失業率以下に失業率を減少できず、ただインフレ率を高めるだけとなり、かえって経済の損失を増大させてしまう。
一般論として、政府や議会からの中央銀行の独立性が金融政策の成果に影響を及ぼすという指摘がある。たとえ金融政策を運営する中央銀行がインフレを抑制しようとしても、政府や議会にはそもそも政府債務の実質目減りや雇用重視の政治的配慮からインフレ率を高めるインセンティブがある。そのために、政府や議会が中央銀行の金融政策運営に対して影響を及ぼせるならば、中央銀行はそれに従わざるをえなくなるかもしれない。したがって、政府や議会から中央銀行の独立性が確保されていない国では、インフレ率が比較的高くなる傾向にある。
上述した金融政策の時間不整合性において重要な点は、家計や企業が、中央銀行によって実行された金融政策によってインフレが発生する、あるいは上昇すると予想するかどうかである。もし中央銀行の政策目標が通貨価値の安定、すなわちインフレ抑制にあることが明示され、そして、中央銀行が独立して金融政策を運営できるならば、家計や企業は、中央銀行がインフレを抑制するための金融政策を行うと予想するであろう。その結果として、予想インフレ率が低下する。一方、もし中央銀行が政府や議会から干渉を受けて、インフレを抑制する金融政策を実施できないことが明らかになれば、家計や企業はインフレ抑制の金融政策を信認しないだろう。そして、インフレを起こす金融政策が行われることが予想され、その結果、予想インフレ率が上昇する。
このように、中央銀行のインフレ抑制に対する信認は、政府や議会からの中央銀行の独立性に関係する。中央銀行の独立性が確保されれば、中央銀行のインフレ抑制に対する信頼性が維持され、家計や企業の予想インフレ率が低下する。さらに、インフレを抑制する金融政策をルール化すれば、その金融政策の信認は高まる。