87年、帰国した。一時は通訳もしたが、堪能な英語とドイツ語、さらには誰とでも親しくなる人柄で、活躍の場を広げていった。JOCの研修制度を利用し、英国オリンピック委員会でも働いた。海外の人脈は豊富だ。

バレーボール協会でも要職を歴任し、昨年のロンドン五輪では、女子強化委員長として日本代表女子の銅メダル獲得を支えた。荒木田は言う。

「オリンピックに出られたからこそ、いろんなことで頑張ってこられた。(五輪とは)自分のすべてを捧げて臨むもの。あの感動、充実感を経験したら、なかなか離れられない世界なのです」

20年東京五輪パラ招致レースは大詰めを迎えた。

荒木田は東京招致委のスポーツディレクターとして大車輪の働きをしている。昨年は、東京の施設計画について、五輪とパラリンピックの国際競技連盟から承認をもらった。ことし3月、IOC評価委員会が来日した際は、競技場視察の案内役と説明役をこなした。

今回の招致活動の特徴は、アスリートが前面に出ていることである。評価委の来日の際も、レスリングの吉田沙保里やサッカーの澤穂希、車いすテニスの国枝慎吾ら、30人ほどの選手がプレゼンや会場案内役を担った。イスタンブールやマドリードと比べ、東京はオリンピアンの多さをアピールできた。

「16年招致より、今回の招致は、オリンピアンの参加者がものすごく多い。東京のウリは“アスリート・ファースト”。競技場は選手村に近いし、選手村の設備もいい。ほとんどのアスリートが同じ選手村で過ごし、交流できるのは、初めてじゃないですか」

東京の長所がコンパクトな開催計画、安定した財政力、運営能力……。サンクトペテルブルクでのプレゼンでは、「不確実な時代の確実な五輪」「安全・安心・確実な五輪」を訴えた。