根拠なしでも問題なし

このような「ベタ」さは、先に論じたように、他人を理解するという枠組についても同様でした。この連載のなかで幾度かみることができたのは、「若者」についての言及がそれです。特によく言及されたのは男性向け「年代本」で、今の若者は無理をしない、群れて集まって個性がないなどと述べられていました。第10テーマ「スポーツ」でも、最近の若者は「上から目線」への反発があるので同じ目線まで降りていって指導しよう、「自分の時間」を何より重視する世代なのでそれを尊重したうえで指導しよう、といった主張をみることができました。

しかしこれもまた、根拠となるデータが示されず、印象批評として語られるものでした。後藤和智さんはこのような根拠なき若者論を「俗流若者論」と述べ批判していますが(『若者論を疑え!』など)、自己啓発書においては、根拠がないことは特段問題とされません。それは先に述べた「女らしさ」についても同様です。また、第11テーマ「就職活動論」における、自己分析やエントリーシート、面接でのハウツーの「成功確率」「有効度」が何ら客観的に示されないという点においても同様です。

就職活動の成功要因を明らかにすることはそもそも難しいことですが、私が言いたいのは、自己啓発書とは客観的根拠が概して示されず、代わりに著者のカリスマ、紹介されるエピソードやメッセージのインパクトに牽引されるメディアだということです。そして、こうしたインパクトのある主張は、これまで幾度も述べてきたように、世の中の問題を「ノイズ」として退け、また世の中に流通している「男らしさ」「女らしさ」「若者観」を疑うことなく踏まえたうえで、個々人ができる自己変革のみを行おうと訴えられるのです。

私がもう少し考えてみたいと思うのは、なぜ客観的根拠ではなく、インパクトにより重きをおくようなこうした啓発書が多く書店に並び、その棚を増やし、またベストセラーも多く輩出しているのかということです。次回はこのような、自己啓発書が売れる現代社会とは、というテーマについて考えてみたいと思います。

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