※本稿は、中野香織『「イノベーター」で読む アパレル全史【増補改訂版】』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。
日本文化の復興に貢献した桂由美
多くのファッションショーは実質、15分から20分くらいで終了する。そのなかでスピーディーに歩くモデルたちが何十着もの服を見せていく。一方、ウェディングをテーマに展開する桂由美のショーは一時間以上続く。セレモニーのあらゆる場面に新しい可能性を見出し、毎回、観客に新しい夢を魅せ、飽きさせることがない。
日本のブライダルファッション界の第一人者として業界を牽引し、世界30カ国以上の都市でショーを行い、94歳で急逝する直前までショーを開催し続けたエネルギーは並大抵ではない。ウェディングドレスという一点を通して、日本の絹文化の普及や和の文化復興にまで貢献した「ブライダルの伝道師」、桂由美の功績は偉大である。
和装が中心の結婚式衣装に「ドレス」を提案
桂由美は東京都出身。10代半ばで第二次世界大戦の東京大空襲を体験した。戦後の学生時代は演劇を志したが、途中でファッションに転向、パリ留学も果たす。共立女子大学家政学部被服学科を卒業し、1964年12月末に日本で初めて西洋のウェディングドレスを販売するブライダル専門店を東京・赤坂に開いた。「花嫁の笑顔が見たい」という思いを込めて、日本女性の体型に合う立体裁断を取り入れ、高級素材を用いたドラマティックなデザインを提案する。
当時の結婚式の多くが和装だった。婚礼衣装の97%が着物で、ウェディングドレスのオーダーは1年で30着しかない。そこで、ウェディングドレスの魅力を訴えるために、ブライダルショーを開く。
草笛光子ら人気女優を起用して注目を集めた。この手法は後年まで受け継がれ、桂は毎回、著名人を起用してブライダルショーを続けた。
ウェディングドレスを引き立てるには、インナー、グローブ、アクセサリーも必要になる。そのため、まだワンパターンだったブライダルまわりの装身具のグレードアップとファッション化に取り組む。関連アイテムはライセンス化され、産業の振興に結びついた。

