※本稿は、松尾英明『不親切教師はかく語りき』(さくら社)の一部を再編集したものです。
学校が「夏休みのしおり」を家庭に配る深い意味
A【現役小学校教員・松尾英明】結論から言うと、前年踏襲の分厚いしおりを止めよういう提案をします。これは、子どもと教師、双方の労力を軽減するだけでなく、紙の無駄を防ぎ、エコにも繋がる考え方です。
「夏休みのしおり」や「冬休みのしおり」には、禁止事項や約束事が事細かに記載されています。「○○しないようにしましょう」や「○○しましょう」といった文言が溢れており、さらにワークシートが挟み込まれています。
なぜこうなっているのでしょうか。それは、「説明責任」を果たすためです。「しおりに書いてあります」「指導しました」と言えるようにするため、つまり教師自身を守るための「親切ごかし」の面があることは否めません。とはいえ、この状況を責めるわけにもいきません。
学校では、一昔前に比べて通知文書の類が非常に事細かで、かつ分量も多くなっています。これは、自己防衛の必要性からきているのです。ご存知の通り、現在の学校は多く外部から身を守るために神経も労力も使わざるを得ない状況に追い込まれています。
教職員のための賠償責任保険や学校弁護士の配置などもその一例です。その背景には、現代における行き過ぎた個人主義の弊害があります。そのような自己防衛の一環としての安全面への配慮、指導がしおりにも反映されているわけです。
ここまでは仕方がないことと言えます。しかし、これが「休み期間中の家庭での過ごし方まで学校が管理すべき」という考えに発展してしまうのは問題です。「そこじゃない」と言わざるを得ません。
夏休みのドリル系宿題はその最たる例です。学力保障は確かに学校の義務ですが、それは学校(授業)でつけるべきものであり、家庭での過ごし方に踏み込むべきではありません。学校教育法や学習指導要領にも、宿題を課す義務は規定されていません。学力や学習習慣の面が心配だからと、毎日一ページずつやっても終わらない分量のドリルを全員一律に課すなどは、どう考えても個人差を無視しており、行き過ぎと言えます。
夏休みの学習計画や一言日記、目標の記載についても同様です。正直なところ、休み中にどのように過ごすかは各家庭の自由であるべきです。これを学校として課すことで、子どもも教師もやるべきことが増えてしまうのは明白です。
夏休みに自分を律して毎日日記を書ける子どもは少数派であり、休み明けに一気に提出された「40日×30人」分の日記をすべて丁寧に確認してコメントを返せる教師も少数派です。子どもも大人も含め、全員一律に同じモチベーションを求めるのは無理があります。
特に問題なのは、何らかの事情で「書けない」子どもへの配慮が欠けている点です。「書けない」とは、心理的・技能的な問題だけでなく、「書くべき体験がない」という場合も含まれます。絵日記に海外旅行の思い出を書く子どもがいる一方で、家庭の事情でどこにも行けず、家からほとんど出なかった子どももいるのです。
こういったことは、自分がその状況で困った経験がある人にしか実感として捉えられず、全く気付けないことが多いので要注意です。この点からも、この種の課題については「自由選択」が最適な解決策と考えられます。
「冬休みのしおり」について言えば、もはや存在自体が不要と言えます。たかだか二週間程度の休みに生活指導や宿題を課す必要はありません。正月くらいは夜更かしをしてゆっくりと過ごすのもよいと思います。また、受験生にとって宿題は邪魔でしかありません。
多少の注意事項があるのであれば、学年便りなどで伝えれば十分です。こういった無駄は省いていきましょう。「しおり」の活用を慣習だからと形式的に行っているだけなのであれば、いっそ止めてしまうべきです。

