元館長が繰り返した「3代にわたって」という言葉

この作文の末尾だけを紹介させていただけば、以下のように締めくくられている。

「『平和』についてさらに考えを深めたいときは、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の『平和の灯』が消されることを心から願っている」

敬宮殿下の作文について、原田氏は「私が言うべきことが、きちっと作文の中に入っていたんですね。ああ、これは3代にわたって、こういう思いを継承していらっしゃったのかな、という思いでした」と受け止めている(「継承」の部分の発音は「結集」に近く聴こえるが、文脈から「継承」と理解した)。

「3代」という表現を繰り返しているが、これはもちろん、上皇陛下、天皇陛下、そして敬宮殿下の3代にほかならない。この表現は、先ごろ(6月5日)沖縄で天皇ご一家をお迎えした対馬丸事件の生存者で対馬丸記念館の元館長だった高良政勝氏が述べていた感想に、重なる。

「この小さな記念館によくも(上皇陛下、天皇陛下と)2代がおいで下さったな、と。そしてまた3代目(敬宮殿下)もご一緒された」

皇位の継承が“世襲”であるべき本質的な理由は何か。染色体うんぬんではなく、“親から子へ”と「思い」、高貴な精神が確実に受け継がれることが最も望ましいからに他ならない。

それぞれ、戦争によって苛烈な経験をした原田氏も高良氏も、敬宮殿下こそが次代におけるその精神の確かな継承者でいらっしゃることを、ごく当然の事実として受け止めているのが伝わる。

愛子さまこそ次代の「思い」の継承者

敬宮殿下は戦後70年にあたる平成27年(2015年)、当時は中学2年生でいらっしゃったが、すでに広島に目を向けておられた。夏休みの宿題で戦争に関する新聞記事を集められた時に、広島への原爆投下からわずか4日目に、人手不足のために路面電車の運転を任されていた女子学生たちによって、早くも運行が再開された記事も採集されていたのだ。

このことについては、上皇后陛下が同年のお誕生日に際しての文書回答の中で、次のように述べておられた。

「若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが、私は愛子が、悲しみの現場に、小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを、嬉しく思いました」

これも、将来の「国民統合の象徴」たるべき方にふさわしい心の持ち方だろう。

さらに、戦没者を追悼するために、毎年、「沖縄県慰霊の日」の6月23日、「広島原爆投下の日」の8月6日など“4つの日”(他は長崎原爆投下の日の8月9日、終戦記念日の8月15日)に、天皇皇后両陛下とともに黙禱を続けておられる事実が発表されているのは、令和の皇室では上皇上皇后両陛下を除くと、敬宮殿下だけだ。