自動車メーカーの歩みはどのようなものか。モータージャーナリストの鈴木ケンイチさんは「2013年になって日産は、約30年ぶりに世界的に知名度の高いブランドだった『DATSUN(ダットサン)』を格安ブランドとして復活させたが、失敗に終わった。このことからの教訓は、クルマは安さではなくコスパで勝負すべきだということだ」という――。

※本稿は、鈴木ケンイチ『自動車ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。

日産自動車
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ダットサンで紐解く日産のあゆみ

かつて日産は、「ダットサン」というブランド名を使っていました。ここでは、日産とダットサンの関係を紹介してゆきましょう。

日産自動車は1933年(昭和8年)に、創業者である鮎川義介氏が率いる戸畑鋳物の自動車部門として誕生しました。それを母体に、同年、自動車製造株式会社が設立され、翌1934年(昭和9年)に日産自動車と変更されます。

三菱財閥の自動車部門が三菱自動車になったように、また、豊田自動織機の自動車部門がトヨタになったのと同じ格好です。ただし、日産自動車は、一からクルマを開発したわけではありませんでした。

日産誕生よりも先となる、1914年(大正3年)に製造された快進社の「DATダット1号」が、技術的なルーツとなっていました。

「DAT」とは、快進社を支援した田氏、青山氏、竹内氏という3名の頭文字を使ったものです。

そして、1933年の日産創業時に生産されていたのは「DAT」の弟分的な小型車の「DATSUNダットサン12型」でした。

もともとは、「DAT」の息子(SON)という意味で「DATSON(ダットソン)」と名付けられましたが、「ソン」が「損」に通じるため、急遽、太陽の「サン(SUN)」に差し替えられたそうです。