史実のとおりに描写すべきとは思わないが
それは「お歯黒」によって、歯を黒く染めていなかった点である。
最初に断っておくと、私は史実のとおりに描写すべきだったといっているのではない。むしろ、白い歯のままでよかったと思っている。小芝風花の瀬川がどんなに凛とした姿を見せても、どんなに健気な表情を見せても、口元から覗く歯が真っ黒だったら、げんなりする視聴者が多かったのではないだろうか。私自身、そうだったと思う。
お歯黒が現代人の美意識に著しく反する以上、その点で史実にこだわり、視聴者のドラマへの集中力を削ぐようなことをする必要はない。とはいえ、本当はどんな姿だったのか、だれがどんな理由でお歯黒にしていたのか、知っても損はないと思う。
東西約327メートル、南北約245メートルの長方形の町だった吉原は、城郭のように堀で囲まれて女郎たちの逃亡を防いでおり、その堀は「お歯黒どぶ」と呼ばれていた。女郎たちが使ったお歯黒の汁をここに捨てたからとも、水がお歯黒のように黒ずんでいたからともいわれるが、いずれにせよ、吉原がお歯黒と縁が深い場所だったことを暗示している。
なぜ花魁もお歯黒だったのか
江戸時代、女性は結婚するとお歯黒によって歯を染めるものだった。江戸時代も初期には、とくに武家の娘は8歳や9歳でお歯黒をしたようだが、蔦重の時代の庶民は結婚前後に歯を黒く染めていたようだ。要するに、成人するための通過儀礼のひとつがお歯黒だったのである。
成人女性の象徴にはもうひとつ、眉を剃り落とすことがあった。20歳以上の女性のほとんどが眉を剃っており、蔦重の時代には、出産を機に剃ることが多かった。「べらぼう」に登場する松葉屋の女将のいね(水野美紀)や、大黒屋の女将のりつ(安達祐実)ら、吉原の既婚女性たちは軒並み眉がないが、こうした理由による。
そして吉原の女郎も、振袖新造(まだ水揚げが済んでいない若い女郎)が女郎としてはじめて客をとる「突き出し」の日から、お歯黒にする習わしだった。
京都や大坂の女郎も原則、お歯黒に染めていたようだが、江戸では唯一の公認の遊郭である吉原を除くと、岡場所の私娼らは、また吉原でも芸者は、お歯黒にしていなかった。そもそも吉原の女郎たちも、未婚なのにお歯黒にしているということは、社会全体から見れば例外だったわけだが、あえてお歯黒にした背景には、客の一晩だけの妻になる、という意味がこめられていたともいわれる。
花魁を描いた錦絵も、口元をよく見ると、覗く歯は黒く塗られていることが多い。
このため、年季が明けて吉原から解放されれば、女郎の歯は白に戻っていた。しかし、瀬川に関しては、身請けされてすぐに鳥山検校の妻になったので、お歯黒のままだったはずである。

