暢の最初の夫は召集されて病死、生活に困って新聞記者に
亡夫との間に子どもはなく、暢は貯金も食べるモノも尽きて困窮する中、総一郎の宝物だったカメラだけは手放すことができず、そんなときに目に留まったのが高知新聞の広告欄だった。そこには「女性記者求む。給与等条件は応相談」とあり、カメラを持っていることもあり、応募し、入社するに至ったのだ。
ちなみに、『やなせたかしの素顔 のぶと歩んだ生涯』によると、やなせとの初対面は、実は戦後間もない頃。暢が仕事道具の入ったカバンを幼い兄弟に盗まれ、追いかけて取り戻した先で、飢えた幼い兄弟に自分のパンを与えていたのが、やなせだったとある。しかし、涙を流すやなせに名前も聞けないまま、高知新聞で再会を果たすことになる。
一方、やなせの自伝『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫 文芸233)によると、やなせは1919年(大正8年)2月8日、高知県香美郡香北町在所村に生まれる。父・柳瀬清は在所村の村長の次男で、上海の東亜同文書院に留学、日本郵船、講談社と転職し、東京朝日新聞の記者となった。また、母は大地主の次女として生まれ、華やかに暮らしてきたが、父親の散財で没落。清と結婚し、上海でやなせを妊娠した後、高知で出産する。
やなせの父は33歳の時に中国で客死、美しい母は泣き崩れる
しかし、清は朝日新聞の記者として赴いた中国の広東で、33歳で客死。このとき、やなせはまだ4歳で、弟は2歳だったため、父の死のことがよくわからず、梅の木の下で遊んでいたというが、母がひどく泣いていたことと、葬列をつくって田んぼ道を山の墓地まで歩いたことは鮮明に覚えていると自伝で記されている。また、母は任地に同行せず、子どもと故郷の実家に残ったことを生涯悔いたそうだ。
ところで、ドラマでは父を亡くした後、弟・千尋が養子として引き取られた医師の伯父・寛(竹野内豊)のもとに母・登美子(松嶋菜々子)と共に身を寄せるが、史実ではいったん母と祖母と3人で、高知市で借家暮らしをしている。
この3人暮らしは「せまいながらも楽しいわが家」だったとやなせは振り返っているが、当時、留守がちだった母に代わって面倒を見てくれていたのは祖母だった。自伝によると、祖母は気の強いことで有名だったが、やなせのことは溺愛し、大きくなっても添い寝し、「この世の中で信用できるのはお前と神様だけだ」と言ったという。そのため、やなせは過保護に育てられ、「貧しいくせに世間知らずのお坊ちゃん」になってしまったのだった。

