母がヒステリーを起こすと、祖母がやなせを連れて家を出た
その一方、母は「今から考えると、未亡人になった母は全力をあげて自活の道を探していたのだ」とやなせが振り返っているが、ミシンを踏んで洋服を縫い、茶の湯、生花、盆景、謡曲、琴、三味線と、習いごとでほとんど家にはおらず、時々ヒステリーをおこして荒れた。そんなとき、祖母は「またはじまった。納まるまで待つよりしかたがない」と、やなせを連れて家の外に出たという。
そんな「香水の匂いが強く、派手好み」の母に対するやなせの感情は複雑だった。映画や芝居が好きで、スクリーンの男優をみて「いいわねえ」と感に堪えたように歎声を漏らした母に「女性」を感じたこと。周りにはいつも何人かの男性がいたこと。母の濃い化粧についていろんな人から悪口を聞かされるのがいやでたまらなかったこと。それでいて、「ぼくは母を信じていたし、よその子供の母よりきれいだと思ってうれしかったのだ」と自伝に記している。
母は伯父の家にやなせを預けたが、母を恨むことはなかった
また、『やなせたかしの生涯』(梯久美子/文藝春秋)によると、高知市で母と祖母と3人暮らしをしていた当時、周囲の子供はみんな着物に下駄ばきだったが、東京から引っ越してきたやなせは、モダン好きだった父の影響もあって、半ズボンに靴、房の付いたニット帽というスタイルで、家が貧乏だとは夢にも思わなかったという。加えて、成績もよく、副学級長も務めていた。
しかし、そんな3人暮らしがある日突然終わりを告げる。やなせが小2の途中、母に連れられて高知駅から汽車に乗り、行きついたのは後面町にある伯父・寛の家だった。ドラマでは登美子と嵩がいったん寛の家に身を寄せ、しばらくして登美子が再婚するため、書き置きをして嵩を置いて去るという展開が描かれたが、史実では伯父宅に連れて行かれて、そのまま一人置いていかれたのだった。
『やなせたかしの生涯』によると、母は「おまえは体が弱いから、伯父さんに丈夫にしてもらうのよ。水虫も直してもらいなさい。お兄ちゃんなんだから、千尋にやさしくしてね」と言い残した。しかし、そのうち迎えに来てくれると思っていたので悲しくはなく、涙も出なかったし、母を恨んでもいなかったようだ。
ちなみに、やなせは千尋と一緒に暮らすことになるが、千尋が奥座敷で義父母と川の字で寝る一方、やなせは書生部屋で一番若い叔父と一緒に寝ていた。寛は一家全部の兄弟姉妹の面倒を見ていたわけだ。

