日本人にとってコーヒーは「おまけ」
「なんでスタバが繁盛するのかわからない」と首を傾げる人はこの店を「コーヒーを飲む店」と見ているからだ。実は繁盛しているのは「休憩・リフレッシュできる癒しの空間」であって、そこでコーヒーも売っていると捉えたほうがいい。
実は日本人にとって「喫茶店」というのはそもそもこういうものだった。江戸時代に流行した「水茶屋」というのは、各店の評判の「茶汲み女」に会えるというコンセプトがメインで、そこで茶も飲めるというものだった。大正時代の「カフェー」も同じだ。
その後にあらわれる「ジャズ喫茶」「シャンソン喫茶」「歌声喫茶」「ノーパン喫茶」を見てもわかるように、日本人にとって喫茶店は「コト消費」を提供する場だったのだ。
「いや、純粋にコーヒーを楽しむ純喫茶もあっただろ」というが、全国で15万ほど喫茶店があった時代の純喫茶の客の多くはタバコを楽しみに来ていた。つまり、ちょっと見方を変えれば純喫茶も「タバコ喫茶」というコト消費だったのだ。
成長に必要なのは「付加価値」である
そのような意味では、「サードプレイス」を提供するスタバというのは、日本の伝統的な喫茶店の系譜にあると言ってもいい。アメリカで苦戦する中、日本のスタバだけ活況なのも頷ける。
日本の歴史を振り返っても、喫茶店・カフェの経営を「コスパ」で語るのは誤りだ。庶民的な価格の街の喫茶店がバタバタと倒れるなか、高価格帯のスタバが繁盛している現実からわれわれが学ぶべきは、「成長に必要なのはコスパではなく付加価値」ということだ。
「安くてうまい」に執着しすぎる国民は、労働力も買い叩いていくので、どんどん貧しくなっていく。
「どうすればもっと安く売れるか」ではなく、「どういう価値を付ければもっと高く売ることができるのか」という考え方に変えなければ、日本の衰退に歯止めがかからないのではないか。