穴井隆将(柔道ロンドン五輪代表)

あない・たかまさ
1984年、大分県出身。父は大分県警勤務の柔道家。5歳で山中圏一(1965年世界選手権中量級銀メダル)が館長を務める秀鋭館に入門。天理高校、天理大学卒。2010年の世界選手権男子100キロ級に優勝。身長187センチメートル。得意は内股、大外刈り。2013年4月より天理大学柔道部副監督に就任。

柔道日本一を決める全日本選手権で有終の美を飾った。柔道は奥が深い。引退を決意した穴井隆将が重圧から解放されて、のびのびと動く。時には笑みも浮かんだ。

こんなリラックスした穴井の姿は初めてだった。結果、4年ぶり2度目の優勝。

「ほんと、楽しかったナ、という気持ちです。全然、緊張しなかったですよ。自分自身にプレッシャーをかけることなくやれたことは正直、うれしかったですね」

日本柔道の重量級を支えてきた。が昨年のロンドン五輪では2回戦で敗退した。第一線を退き、全日本柔道連盟の強化指定選手も辞退、「家族と普通の生活」をしていた。当然、けいこ量は激減した。

「心技体でいえば、精神的には二重丸、技術も小さい頃から積み重ねてきたものがあるので二重丸、ただ体力はバツでした」

表彰式では、観客席の子どもから「穴井選手、やめないでください!」との声がかかった。28歳は目頭を右手で押さえた。

「そういった子どもの純粋な気持ちってうれしいし、胸にグッとくるものがありました。正直言って」

ドラマチックな幕切れですね、と声を掛けられると、相好を崩した。

「カッコいいでしょ」

大分県大分市出身。5歳から柔道を始めた。「努力に勝る天才はなし」のコトバを支えに柔道一直線。天理大学で飛躍し、数々の国内タイトルを獲得した。2009年の全日本選手権では「心技体すべてが充実」し、念願の全日本チャンピオンの称号を手に入れた。

天理大柔道部の副監督として後進を指導するかたわら、この4月からは奈良教育大大学院で保健体育を学び始めた。

「ほんと幸せな柔道人生だったナ、と思います」と漏らした。悔いはありませんか、と聞かれると、「ありますよ」とぽつり。

「オリンピックで勝てなかったことは悔しいですし、あそこで勝っていればよかったナとよく思います。夢なんかにも出てくることがありますね」

しばし沈黙。

「う~ん。順調な人生だけじゃない。あのときのオリンピックの負けがあるから今があるのかなと思うし、これからの先の人生でもそういう風に思っていいただける生き方をしないといけません。だから、(五輪は)悔いであり、悔いではないですね」

もう指導者として第二の人生が始まっている。天理大学職員。妻と二人の子どもを持つ。

「心の底から柔道を楽しめる、本当に純粋な気持ちで戦える選手をつくりたいですね」

(フォート・キシモト=写真提供)
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