受験は変わらないが、「学び方」は変わる
では、これからの時代に学校での学びや受験も変わるかと言えば、問われる能力は変わらないでしょう。
東大の入学者募集要項には、受験生に求めているのは「学んだ知識を組み合わせて創造的に使いこなす力であり、未知の課題に遭遇したときに自らに不足しているものを果敢に学ぶ姿勢」とあります。知識は不要ということではない。活用できる生きた知識を身につけることです。
勉強すべきことは変わらない一方で、学び方は変わってくるでしょう。家庭学習でも生成AIを活用することで、効果的に学ぶことができると思います。
たとえば、自分の苦手な教科や単元はじっくり教えてもらうなど、自分に合った学び方をするのにもAIは最適です。わが家のように家庭教師役をさせればいいのです。それは、子供の勉強についての親のストレスの軽減にもつながります。
中学受験や大学受験も、ChatGPTを使って効果的に学ぶことが当たり前になるかもしれません。
最も重要なのは「楽しむ」力
では、そんな能動的に学ぶ子にするために、親は何ができるでしょうか。
本来、新しいことを知ることは楽しいはずです。それがまざまざと出ているのが未就学児です。「これって何?」「何で空は青いの?」……といった質問責めにあった方も多いのではないでしょうか。見るもの、聞くもの、何にでも興味を持つ。学びの楽しさを体全体で表現しています。これこそが人間の本性で、知りたい、楽しみたいという願望が強いはずなのです。
ところが小学生になって学校で習うようになると勉強が嫌になってしまう。みんなで同じことをやらされたり、点数で評価されたり、できないと叱られたり。嫌いになるのも、ある程度はしかたがないことかもしれません。
だからこそ、家庭では、学びの楽しさを刺激することが大切です。子供の好奇心をこれ以上、そがないことを目指してください。
では、具体的に親は何をすればいいのか。
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」というイギリスのことわざがありますが、水を飲むか飲まないかは本人次第。「さあ、楽しみなさい」と命令するのはナンセンスです。親にできることは環境をつくってやることだけなのです。
ヒントは「楽しい」と「嬉しい」は違うということです。
小さい子が夢中になってお絵描きをしている。あれこそが「楽しい」から描いている状態です。理由なんてない。自分の内面からの好奇心で動いている内発的動機という一番強いモチベーションです。
ここで絶対にやってはいけない声かけが「偉いわね」「○○ちゃん上手ね」などと褒めること。子供は褒められたくて描いているのではありません。それが何度も褒められて「嬉しい」思いをするうちに、お母さんに褒められたいから描いているのだと認識してしまう。認知的不協和といいます。そうなると急速にお絵描きを「楽しむ」気持ちを失ってしまうのです。
「うちの子、飽きっぽくて」という悩みを伺うことが多いですが、よく聞いてみると、単に親が興味をそぐ声かけをしただけ。「上手ね!」と言っちゃったら、興味はどんどん移っていく。嬉しさの刺激で、もっと親に褒められたいとなってしまう。
そうではなくて楽しさを刺激してやるのが重要なのです。
私の研究室でも、学生が研究をしています。当たり前ですけれど、毎日、大発見があるわけではない。ほとんどの時間が失敗といってもいい。でも時々いいデータが出ることがあり、「見てください」と持ってきます。そのときに言ってはいけない言葉も「がんばったね」「すごいね」。
もし声をかけるなら、「このデータは面白いね」「この結果はワクワクするなあ」と言って、そのデータを楽しんでいる姿を見せる。ポイントはその人について触れないことです。そうすれば褒められたいとはならず、研究自体の楽しさを維持できるのです。
絵を描いている子にも、「○○ちゃんは絵が上手ね」と褒めるのではなく、「この絵、私は好きだわ」と言っておけばいい。
お気づきのように、「褒められて嬉しい」「100点取って嬉しい」など、「嬉しい」は要因が外部にある。それは学びの本質ではありません。重要なのは「楽しい」からやるという自己駆動です。理由なんてないけれど夢中になってしまう状態こそ学習効果が最大になります。
親や先生の言う「いい子」は大人にとって都合のいい子、素直に言うことをきく子のことだったりしませんか。そうではなくて、親や先生がいなくても自分ひとりで生きていける子にすることが教育です。そのためには自分から動くエネルギーである「楽しさ」が大事なのです。