大河ドラマに出てきた「謎の少年」は誰か

ところで、「べらぼう」には現在、いつも蔦重の近くに唐丸(渡邉斗翔)という謎の少年がいる。明和の大火の際、蔦重に拾われたが、火事のショックで記憶を失っていて自分の名前もわからないので、蔦重が自分の幼名を名乗らせている、という設定である。

この唐丸が第4回では、見事な画才を発揮した。磯田湖龍斎が描いた美人画の下絵が水にれて滲んでしまったとき、唐丸が線を正確に写しとって、元の絵と見分けがつかないほどの下絵を再現したのである。感極まった蔦重は「お前はとんでもねえ絵師になる!」とお墨付きをあたえた。

この唐丸は、だれか有名絵師の幼少期として描かれているのだろうか。そうだとしたら、いったいだれなのかと考えながらドラマを視聴すれば楽しみも増す。

歌麿の可能性はどうだろうか。実際、歌麿は詳しい出自がわかっていない。幼いころに狩野派の画家、鳥山石燕せきえんに弟子入りし、その後は蔦重の家に居候もしている。すると、唐丸が歌麿の可能性もありそうに思える。

ただ、歌麿の生年は、確定しているわけではないが宝暦3年(1753)が有力である。寛延3年(1750)生まれの蔦重とは3歳しか違わないなら、可能性は低くなる。

歌麿と離れた蔦重が向かった先

ところで、歌麿は蔦重のもとで美人大首絵を描いて大ヒットを飛ばしてから3年もすると、蔦重とは距離を置き、いろいろな版元と仕事をするようになる。もっとも、その後の作品は、蔦重プロデュースの完成度におよばないように見えるが、ともあれ蔦重は、歌麿の対抗馬として栄松斎えいしょうさい長喜ちょうきを売り出した。

長喜が描いた美人大首絵は、歌麿の絵に近いうりざね顔で、背景は蔦重が好んで歌麿の大首絵にも採用した雲母摺だ。体がかなり細くて、少しこけしのようではあるが、上品でやわらかな表情で評価が高い。

「青楼俄全盛遊」
「青楼俄全盛遊」(画像=栄松斎長喜/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

この長喜、町人出身とは思われるが、出生地も生没年もわからない。師匠がだれであったのかもわかっていない。このためドラマの唐丸が長喜になったとしても、違和感はないように思われる。

ただ、長喜は現在における知名度がそうであるように、美人大首絵に関して歌麿には勝てなかった。そこで蔦重はあたらしい世界への進出を試みる。それは役者絵だった。