もう「競争」をモチベーションにしない

若い頃は「同期よりも出世したい」とか、「平均よりもいい暮らしをしたい」というモチベーションで頑張ることにも、それなりに意味があります。

けれども、50歳をすぎてまで人と比べて一喜一憂するのは、みっともなくて痛々しいだけです。

私は通っているスポーツジムで中高年の人たちと一緒になることがあります。

その中には、もう70代だというのに、いまだに「○○商事の取締役までやったんだ」「○○大学で同期に政治家の○○がいたんだ」などと自慢する人がいます。聞いているこっちが恥ずかしくなります。

そういう人は、○○商事の取締役、○○大学のOBだったという以外に、人生において誇れるものが一つもないのかもしれません。会社や大学にすべてのアイデンティティをゆだねているから、いつまでも過去の肩書にしがみつくわけです。

ジムでは何かにつけて他人と比較して、いちいちマウントを取ろうとするタイプの人にも遭遇します。

「ゴルフシミュレーターの飛距離が○○ヤード」
「スクワットが○○さんより何回余計にできる」
「自分のほうが血圧の数値が低い」
「息子が○○大学に入った」
「娘の夫が○○社の社員」

そんなどうでもいいことを誇っているのです。

マウントを取りたがる人は、ずっと他人との比較の人生を送ってきたのでしょう。そうすることでしか自分の価値を確認できないのかもしれません。

当然ですが、他人と比べたがる人はジムの中でも嫌われています。誰からも相手にされず、やがて孤立していきます。「こんなふうになりたくないな」と、つくづく思うのです。

「自分の力だけでのし上がった」は錯覚

50代にもなったら「自分などたいしたことはない」という自覚を持つ必要があります。自分を卑下するのではなく、謙虚な気持ちを持つということです。若い頃は、自分の力だけでのし上がってきたように思いがちですが、それは錯覚です。

一人ひとりの力に大した差はなく、たまたま運がよかったり、周りの人の引き合いがあったりして現在の地位を得たというだけなのです。

自分の力でのし上がってきたと思うからこそ、他人を平気で蹴落とそうと考えたり、出し抜こうとしたりして、どんどん嫌な人間になっていきます。

「自分の力なんて知れたものだ。みんなのおかげで、なんとかここまでくることができたんだ」

そんなふうに感謝の心、謙虚な心を持てば、誰かにマウントを取ろうなどとは思わないはずです。

藤井孝一『50代がうまくいく人の戦略書』(三笠書房)
藤井孝一『50代がうまくいく人の戦略書』(三笠書房)

人の幸せは仕事の成果だけで決まるわけではありません。

人生の後半であなたを評価するのは、会社ではなくなります。年を重ねるにつれ、家族や友人、趣味の仲間、地域の人たちへと変わっていきます。要するに、定年退職後の長い人生の幸不幸を決定づけるのは周りの人間関係なのです。

人間関係を良好にしようと思ったら、誰かと比較してマウントを取るなどもってのほかです。今から人と比べる生き方からのシフトを図りましょう。

目指すべきは、いい人たちに囲まれて幸せな人生を送ることです。

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